ウクライナ進行がなぜ第三次世界大戦の引き金と心配されているのか解説
ウクライナ進行がなぜ第三次世界大戦の引き金と心配されているのか解説
画像=Pixabay
日経新聞を読まない君たちでも、今、ウクライナで起きているロシアによる軍事侵攻についてはある程度知っていますよね。これ、日本人はあまりピンとこないかもしれませんが、ロシアはこれまでにも、シリアやジョージア、ロシア国内のチェチェン共和国にも軍事侵攻し、非人道的な攻撃をしてきたんです。しかし、これほどまでに世界的に関心が寄せられることはありませんでしした。
今回は何が違うのか。大きな要因の一つは、今回のロシアによる軍事侵攻が、「第三次世界大戦の引き金になるかもしれない」と心配されているということです。ロシアとウクライナだけの問題ではないということですが、これってどういうことでしょうか。過去の世界大戦を振り返ってみると、なぜ今、世界が固唾を飲んでウクライナの行方を見守っているのかが少し、見えてきます。今回は、それぞれのポイントを絞って見ていきましょう。
「世界大戦」と名前のついている戦争は、これまでに二度、起きています。第一次世界大戦(1914~19年)と第二次世界大戦(1939~45年)です。第一次世界大戦は、軍事面では、飛行機や戦車、潜水艦、そして毒ガスがはじめて本格的に戦闘で使われるようになった戦争でした。さらに、軍事面だけではなく、経済力や国民全員を総動員して戦う「総力戦」のはじまりとも言われています。戦争は軍人だけのものではなく、国民みんなが参加するものになった、ということです。
ここでは、重要なポイントとして、なぜ多くの国が戦争に参加したのかについてみてみます。第一次世界大戦の勃発のきっかけは、「サラエボ事件」でした。歴史の授業の時間にこのキーワード、出てきましたよね。1914年に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者夫妻がセルビア人の青年によって暗殺されたのがサラエボ事件です。
このサラエボ事件により、もともと仲の悪かったオーストリアとセルビアが本格的に対立することになりました。これに、オーストリア側には、オーストリアと「三国同盟」という同盟を結んでいたドイツ、イタリアが参戦します。
かたや、セルビア側は、セルビアと同じスラブ系民族の国のロシアが参戦します。そして、ロシアと「三国協商」という同盟を結んでいたイギリスとフランスも、戦争に参加することになります。さらに、イギリスと日英同盟を結んでいた日本も参戦します。この戦争はもともとは欧州で始まったものでしたが、日本は中国での権益をめぐってドイツと戦闘を繰り広げることになりました。
詳しくみていくと参戦の経緯はもう少し複雑ですが、ざっとセルビアとオーストリアの対立が、「三国同盟」と「三国協商」というふたつの同盟グループの対立に発展し、さらにイギリスと同盟を組んでいた日本までもが参加することになったのが第一世界大戦でした。軍事同盟を結んでいると、このように連鎖的に、いもづる式に多くの国が戦争に引きずり込まれることになり得るんですね。このあたりの過去の経緯を見てみると、ロシアとの火種を抱えているウクライナがNATO(北大西洋条約機構)になかなか加盟できなかった背景が見えてきます。
第二次世界大戦は欧州視点で見直すとよくわかる
第一次世界大戦の終結からちょうど20年後の1939年に、今度は第二次世界大戦が勃発しました。日本人にとっては、第二次世界大戦というと太平洋戦争のイメージが強いと思いますが、ヨーロッパの人からみると、第二次世界大戦の主戦場は、ロシア(当時はソ連)とドイツによる独ソ戦でした。このキーワードも、最近耳にする機会が増えているかもしれません。
独ソ戦は、1941年から45年までにわたって続き、独ソ双方あわせて3000万人以上の人が亡くなったと言われる、血で血を洗う凄惨な戦いを繰り広げたことで知られています。スターリン率いるソ連も、ヒトラー率いるドイツも、相当な犠牲者を出しました。独ソは1939年に「独ソ不可侵条約」を結び、互いに攻撃しないことを約束していたわけですが、ヒトラーがこれを破る形で、ソ連への攻撃を開始します。開戦当初はドイツ軍が勢い良くソ連に攻め入りましたが、最終的にはドイツ側に大きく押し戻される形になり、ドイツが敗北しました。
ロシアは独ソ戦を「大祖国戦争」と呼び、国民にとって非常に重要な戦争として記憶しています。多くの犠牲者を出しながら、ヒトラーから祖国を守った戦争ということです。しかし、それはロシア側の記憶であって、周辺国にとっては別の側面があった。そんな声が、1991年のソ連崩壊以降、東欧や旧ソ連諸国から次々と挙がってきました。
スターリン率いるソ連は、独ソ不可侵条約において、ポーランドの分割や、バルト三国の占領を認めることをヒトラーのドイツと握っていました。つまり、独ソ双方の勢力拡大について認め合いつつ、お互いは攻撃し合わないことをあらかじめ約束していたわけです。この条約に基づき、ソ連は1939年にポーランドやフィンランドに侵攻し、のちにバルト三国も占領します。いわば、ソ連や旧共産圏となる国々に軍事侵攻して勢力を拡大していったわけです。
東欧諸国は歴史的にロシアの脅威にさらされてきたわけですが、第二次大戦中にも、ロシア(ソ連)による周辺国への軍事力による勢力拡大が行われていたわけです。このあたりの歴史の流れを知ると、3月15日にポーランド、チェコ、スロベニアの東欧3カ国の首相がウクライナの首都キエフを訪問した背景を理解しやすくなるかもしれません。