旧正月と立春を過ぎて本格的に2017年がスタートしました。
風水コンサルタントとしての業務で一番最初に行わなければならないのが、
『胡散臭さ』の払拭です。
日本で風水が一般的に認知されたきっかけが「西に黄色で金運UP」であったために、
風水=占い、占い=胡散臭い、風水=胡散臭い、の3段論法が成立してしまいました。
更に日本の家相と混合されてしまったのも、胡散臭さを増大させてしまった要因です。
そこで、少し中国風水と日本の家相との違い等を紹介出来ればと考えています。
中国風水と日本の家相との違いを論ずる時に、必ず採り上げられるのが「鬼門」についてです。
それでは、「鬼門」のルーツはどこにあるのかということから説明をしていきたいと思います。
この「鬼門」方角を表す言葉ですが、方角の基本は「東西南北」の四正、その間の四隅の
「北東・南東・南西・北西」の八方位の中の、「北東」が「鬼門」の方位とされます。
「北東」が、何故「鬼門」と称し忌み嫌われるようになったのかです。
古代中国の「山海経(せんがいきょう)」という文献(古代中国の戦国時代から漢代に成立した奇書・神話の一つ)
の中に次のような話があります。
度朔山に大きな桃の木があり、「東北」に伸びた枝の先に門があった。
この「門」から「死者」が出入りしているのを知った天帝は、二神を派遣する・・。
というもので、「東北」「門」「死者」が関連付けられています。
又、古代中国では、「死者」の「霊」のことを「鬼神」または「鬼」と表現しました。
そこで、「東北」「門」「死者」「鬼」が関連付けられ、「東北」=「鬼門」となり、
「死者が出入りする門」となったと考えられます。
簡単に言えば、中国の神話がルーツとなります。
これが、日本に伝えられ、日本の生活・文化に浸透してきたと考えられます。
「そもそも」、「どうして」というより、形式的に「鬼門」は、「忌み嫌う」ものと扱われてきたようです。
平安京に遷都した桓武天皇が北東に比叡山延暦寺を建立し、鬼門鎮護は良く知られる話です。
これを真似るものが多くなり、現代まで日本の建築に採り入れられてきたようです。
では、中国風水ではこの「鬼門」を採り入れているかといえば、答えは「NO」となります。
単純に「北東」を「鬼門」と称し、「忌み嫌う」という考えはありませんし、そのように指導する風水師は皆無です。
この為に、「中国風水」と「日本風水」を区別する材料となっています。
次にこのことに対する、私の個人的な見解を述べたいと思います。
「何故、この中国の神話に記されるようになったのか?」まで、遡って考えてみます。
世界中には様々な神話があるのは良く知るところです。
神話を全て本当にあった話とするには、当然無理があります。
しかし、神話は何か真実を伝える「例え話、比喩、象徴」であると考えられる箇所もあります。
単純にただ残されていたと割り切れるものでもありません。
極めて簡単に例えるならば、「お婆ちゃんの知恵袋」のようなものです。
「山海経」も神話を通じて後世に残したい真実があったのではないかということです。
しかし、その真実は当然私には分かりません。
だからこそ、中国風水師であるから、単純に「鬼門」を無視して良いという結論にはならない、
謙虚に研究する必要もあるのではないかと考えます。
占術や流派間の対立も同じように考えられます。排他的な思想は何も新しいものを生み出すことはありません。
良き交流の中に、真実や新しい発見が生まれると確信致します。