未開の大陸・南極。ここに家を建てることに取り組んでいる企業がある。
ミサワホームでは1968年に、南極の「第10居住棟」建築を受注。これまでに累計36棟、延べ床面積にして約5900平米を南極の地に建ててきた。派遣してきた南極地域観測隊員は延べ18名に上る。
1年4カ月の任期を終えて今年3月に帰任した同社の福田真人さんに、南極生活の話を聞いた。
南極越冬隊に参加したミサワホーム・福田真人さん (写真=リビンマガジン編集部撮影)
南極では基本観測棟の建築に従事しました。三ヵ年に渡る建築計画の基礎・土台部分が私の担当です。もともと業務の中で南極の建築物に関わっていましたが、南極での施工や現地の建物で実際に生活することで学ぶものも多く、今後の仕事に生かせることが多いのではないかと思い、社内公募に参加することにしました。それが5,6年前のことです。
ただ私は設計や商品開発に携わっていましたので、建物の組み立てなど大工仕事が経験できる部署への異動の希望を出し、現場経験を積ませてもらいました。それだけでは不安があったので、プライベートでも大工仕事のトレーニングをしていました。実家の庭を借りて、小屋を作っては壊しを繰り返しました。1年ほど、毎週末取り組んでいましたね。小屋は最後に両親にプレゼントしました。今も、父が物置に使っているそうです。
ーミサワホームでは社員向けの公募から、極地研究所の公募・選考経て、観測隊参加者は決まる。南極への出張はどのようにすすんでいくのか。
派遣が決まると、南極観測隊の参加者は国立極地研究所(極地研)へ出向します。
所属は変わりますが、あくまでミサワホームからの出向です。出発の時は、過去に観測隊に参加した隊員や社員のみんなが、成田空港まで壮行に駆けつけてくれました。成田からオーストラリアのパースまで行き、フリーマントル港から南極観測船「しらせ」で南極に向かいました。
現地では朝6時に起床。7時から朝食をとり、8時から仕事を始めます。12時から1時間休憩で、昼食をとったら13時から仕事を再開。18時に仕事は終了ですが、忙しい時期は夜遅くまで働くこともありました。
現地には、雪上車や発電機のメーカーから出向してきているメンバーがいます。私も含めて総勢30名でしたが、それぞれの仕事とは別に基地の維持に関する作業は全員で助け合います。研究者やお医者さん、調理担当隊員など各々の専門に関係なく、ブリザードが吹いたら雪かきをしますし、自分たちでなんでもできないといけないんです。
到着からしばらくは、前任の隊との引き継ぎがあるため。2つの隊が滞在することになります。その間は、4,5人で同じ部屋に雑魚寝です。その後は個室ですね。4畳半ほどの部屋にベッドと机があって、十分な広さでした。
南極昭和基地 (提供:ミサワホーム)
ー南極はまさに極限の地だ。つらいことはなかったのか?
よく聞かれるんですが…本当に無かったんです。できればもっと長く現地にいたかったほどです。
しいてあげるとすれば、除雪作業中に重機の操作を誤って、あるものを壊してしまったことが思い出されます。後片付けがひとりでは出来ず、結局、29人全員に助けてもらいました。みんなには迷惑をかけたんですが、なんとか乗り越えられました。
メンバー全員が仲良かったのも、現地にとどまりたかった要因の一つです。日曜日が休みなのですが、天気が良い日はお弁当を持って遠足にでかける隊員もいました。南極には長頭山という山があって、そこに向けて片道2時間くらいのハイキングですね。ただ、もし戻れなくなったら大変です。事前に届け出をだしてから行くのは、南極ならではでしょうね。
スポーツの大会もありました、現地には2つの居住棟があり,それを1階と2階ごとに分けてチームを組むんです。結果ですか?私は第一居住棟のエースだったとでも書いておいてください(笑)
福田さんが手掛けた基本観測棟 (提供:ミサワホーム)
ー長きにわたって滞在するからだろうか、南極観測隊ではイベントが頻繁にあった。かつて有名になった南極流しソーメンも、実際に行われているという。
氷の表面を削り込んでお湯を流し、そこで流しソーメンをやりました。なんと言っても氷なので、お湯がすぐに冷め、下の方は冷たいソーメンになっています。寒いので長いこと食べていられませんでしたね。
オーロラには感動しました。ほとんどが白いもやがかかっているくらいにしか見えないのですが、数回だけ写真で見ていたものと同じような荘厳で美しいオーロラに遭遇し、これは貴重な経験でしたね。一面真っ白の雪景色の中で入ったドラム缶の露天風呂も良い思い出です。
現地での楽しみは食後のビールでした。1日2~3L 飲んでいました。食料に関しては日本で購入して現地に持ち込みます。1人あたりの予算が決まっていて、給料から天引きされるんです。アンケートで好き嫌いやアレルギーのある食べ物などを申告して、調理担当のメンバーがバランスを考えながら調達します。ビールなどのアルコールも持って行くのですが、たまたまメンバーの中にビールを飲む人が少なかったんですね。そのおかげで、私がたくさん飲めたんです。
南極での体験を語る福田さん (写真=リビン編集部撮影)
ー帰国後は取材対応と極地研との仕事、講演会などが続く。さらに子どもたちを対象に出前授業を行う「南極クラス」に参加する。
先日も佐渡島まで出かけて子どもたちに講演してきました。みんな真剣に聞いてくれて、うれしかったですね。南極から持ち帰った氷を見てもらったら、すごく喜んでくれました。私は1年半もいたから見慣れているんですけど、やはり凄いところに行ってきたんだなと思いました。
1年半ぶりの日本で感じたギャップですか?マイナンバー制度が始まっていたことですかね。(*2016年1月開始)会社から提出するように言われていますが、自分のマイナンバーがわからないんです(笑)現地でもインターネットで日本の情報はわかります。メンバーには熱心に日本の情報を調べている人もいましたね。私はあまり興味がわかなかったので、調べませんでした。さすがにスマップが解散したことは知っていましたけど(笑)
もし、もう1度いけるなら行きたいですね。実際に複数回、観測隊に参加している社員もいます。南極の何がそんなに良かったのか自分でも考えるんですが、とてもひとつに絞りきれない。でも、あの環境にいると何事も自分で考えて、自分でやらないと動き出さない。その分だけ、喜びもやりがいも大きくなるということなのかもしれません。もちろん仕事の後のビールもおいしくなるんですね(笑)。