■作品:希望荘
■著者:宮部みゆき
■定価:1,750円 + 税
■初版発行年月:2016年6月
宮部みゆき・著『希望荘』は、杉村三郎シリーズの第4作、4編からなるオムニバス形式の推理小説だ。
主人公の村上三郎は、東京都北区に木造で築40年を超えるボロ物件に自宅兼事務所を構える私立探偵である。ひょんな事から妻と別れ、探偵として独立することになった彼の活躍が描かれる。
表題作の「希望荘」は、依頼者の父親が心筋梗塞で死亡する2か月ほど前から、入所していた介護施設の周囲の人々に「昔、人を殺したことがある」という告白をしていた。死後、その告白を知った依頼者は、真相を調べてほしいと杉村に頼むことから物語がはじまる。
依頼者は、9歳のときに父親と生き別れしており、40歳直前になって再会する。つまり、父子には30年の空白期間があり、それまでどういった生活をしていたのかを知るすべはない。わずかな情報を頼りに、杉村は昭和50年の事件に行き当たる。当時、東京都城東区(原文まま)で起きた事件と、同時期に事件現場近くの「希望荘」に住んでいた依頼者の父親の関係を追っていく。
事件の舞台である東京都城東区は、現在では存在しない行政区だが、宮部が作中でよく使う地名だ。作中の描写や、下町で労働者が沢山住んでいたということから、東京都江東区に隣接した地域であることがわかる。宮部は、東京都江東区深川の出身だ。昭和50年といえば、彼女がまだ10代の頃で、自身の青年期の生活環境や記憶が細かな描写に生かされていると感じられる。
本作には、様々な人物が登場するが、巧みな描写のおかげで、どのキャラクターにもリアルな息づかいがある。杉村は「私は外見や雰囲気がいたって安全そうであるらしく、まず他人に警戒されない。こういう時は得だ。」という自負を持っている。昭和50年の事件についての聞き込みをしているなかで、ある酒屋の老女に話を聞く。老女は思い出そうとするも、記憶にないとあっさり返されてしまう。後日、老女の夫に話を詳しく聞くことができたとき、「今日日、あたしら年寄りは油断できないだろ。~省略~うちのばあさん、怪しいヤツが来たと思うと、ボケてるふりをするんだよ。」と、告げられる。杉村の思惑が全く見当はずれであり、むしろ老女はいたって明晰で、老女が何枚もうわ手だったことに思わず笑ってしまった。
また、杉村は老女の夫に聞いた話から、仮説を2つ立てる。その1つ1つをロジカルに否定し、あるいは立証していく。このとき、読者は決して「置いてきぼり」にはされず、杉村の思考を読むことができる。そして「何かが小さくかちんと音を立てた気がした。必要なパズルが目の前に転がってきたのだ。」。これは、杉村が事件の真相にたどり着く表現だが、読者も同じタイミングで事件の真相を知ることができる。このように、ストーリーの随所にヒントが配置されており、読者はどんどんと引っ張られていく。これらは、まさに宮部みゆきの真骨頂だ。
人々の読書離れという言葉を耳にする。昨今では、書籍などのソフトの販売不振のため「体験を売る」ことが重視されている。しかし本書は、どの作品もロジカルな推考を読者に体験させることができる。
私自身、杉村三郎シリーズを全く読まず、4巻目の本書から読んだが十分に楽しめた。「宮部みゆき」と聞いて読まず嫌いしている人も多いのではないだろうか。是非、読んでみてほしい。