バブルを見た、生きた、書いた
「高校を退学して、先輩に誘われた建築会社に入ったんですが、
最初の月で50万円もらったんですよ」
10年ほど前に小さな建築会社の経営者に聞いた。
「建設現場であう職人さんは全員がベンツに乗っていたし、みんな儲かっていた。
現場ではアルバイトが集まらないんです。
来ても、すぐやめちゃう。しょうがないので、昼メシにうな重を用意したんですよ。
それを、ほとんど残しやがってね(笑)もう、みんな舞い上がってた」
バブル経済として象徴的に語られるのは、
3万8915円という最高額を記録した日経平均株価や、
東京23区地価で米国本土が丸ごと買えたといった桁違いのスケールの話ばかりだ。
バブルを知らない30代から20代にとっては、
「昼メシにうな重」といった些事にこそ、
狂った時代をリアルに感じるのではないだろうか。
そうした、バブルを知らない若者にこそ読んでほしいのが、
永野健二著「バブル 日本迷走の原点」(新潮社)だ。
この本は、1980年から89年までのバブル期に、
日経新聞記者として最前線で取材した著者が当時を再総括したものだ。
地価や株価の上昇とその要因となった歴史的な事実の解説は歯切れよく、わかりやすい。
バブル経済の教科書としても秀逸だが、
それよりも印象深いのはバブル経済で飛躍したベンチャー経営者たち、
いわゆるバブル紳士たちに対し好意的ともとれる視点でつづっている点だ。
「資本主義のなかの起業家精神には、いつも上昇志向とともに、
ある種のいかがわしさが潜んでいるものなのである」(P-264)
故・小林茂や故・高橋治則といった経済史のなかで、
悪役として語られることが多い人物たちにも一定の評価を与えている。
中でも流通業界の再編を掲げ伊勢丹、松坂屋といった百貨店、
中堅スーパーの忠実屋やいなげや、長崎屋、ライフストアに
敵対的買収をしかけた小林を高く評価している。
世間からは「買い占め屋」と言われ続けたが、
小林は当時日本には存在しなかった投資銀行の機能をいち早くみずから体現した存在でもあった。
それは「会社は株主のものであるという前提に立って、株主として合理的に算定し、みずからリスクをとって株式に投資する。
また求める会社があれば、M&Aに協力する金融仲介機能を果たす」という米国流の投資銀行本来の役割である。(P-180)
バブル期に登場した経営者たちと、現代のベンチャー起業家たちとを比べて、精神性に大きな違いなどない。
儲かる事業で、世間に認められたいだけである。
著者もこう語っている。
バブルの最前線で揉まれ迷走していた立場からいうと、バブルとは、
何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、
彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である。(P-268)
バブルと人とを取り上げた傑作ノンフィクションが登場した。