遠くない将来、不動産テックによって不動産ビジネスは劇的に変化すると言われている。
これまでの商慣習や仕組みが劇的に変わり、無数の新ビジネスが生まれるかもしれない。不動産テックに関連する企業経営者や行政機関などに取材し、不動産テックによって不動産ビジネスがどう変わっていくのかを考えてみる。
今回は、データの解析によって宿泊事業を企画・運営する『エアリノベ』を提供するVSbias(東京・港区)・留田紫雲社長に話を聞いた。留田社長は2016年、22歳の若さで同社をIT大手メタップスにバイアウトしたことでも話題になった。それから2年、いま同氏が目指しているものとは何だろうか。(リビンマガジンBiz編集部)
VSbias・留田紫雲社長(撮影=リビンマガジンBiz編集部)
「宿泊」に不動産のニーズを見つける
―VSbiasが提供しているサービスについて教えてください。
VSbiasではテクノロジー×不動産を軸に4つのサービスがあります。
その中でも中心的なサービスに育ってきているのが『エアリノベ』です。これはビッグデータの解析などを通じて、民泊やゲストハウスといった小規模な宿泊施設の開業や運営を支援するサービスです。
当社を創業した2015年からサービス提供を開始しており、上場企業関連会社の中では圧倒的に一番歴史が古い会社になります。現在では、民泊新法や旅館業法、大阪や福岡、東京の大田区などの特区民泊などにも対応した宿泊施設の開業・運営支援をてがけており、『Baberu(バベル)』というツールでの運営支援も含めると、今までに約4,000室をサポートしてきました。
『エアリノベ』での開業事例(画像提供=VSbias)
―宿泊という角度から物件活用をサポートしているのですね。
「テクノロジーによる空間価値を最大化する」というのが当社のミッションです。不動産に対するマーケットのニーズと供給を適切にマッチングすることで、無駄を省き、価値の最大化を考えています。その中でも、現在は宿泊の分野に注力しています。
実は、当初は不動産に対する全てのニーズを把握・マッチングしようとしていました。ただデータを集めるにしろ、それを解析するにしろ、ユーザーに提案するにしろ膨大すぎて、かなり難しかったんです。また、賃貸や売買の分野では、情報の非対称性が大きく、分析が困難であることも感じました。
一方、宿泊というのは基本的にはインターネットを経由して予約されています。つまり、インターネット上に網羅的な情報があり分析が容易なので、ニーズに対する分析精度が上がると感じました。
そういった理由で、賃貸やテナント活用ではなく、現在は宿泊に特化しています。
―不動産会社が民泊部門立ち上げたいといったことを支援する事業コンサルに近いこともされていますね。
今年の6月に住宅宿泊事業法(通称、民泊新法)が施行されたことで、不動産会社様からのお問い合わせもかなり増えてきました。
多いのは、宿泊施設の開業相談と民泊事業部門の立ち上げの相談ですね。大手不動産会社などは、IRの観点からトップダウンで民泊事業を開始しようとするのですが、賃貸管理と民泊ではあまりに業務が異なるので、困った現場の方からお問い合わせをいただき、実務部分をお手伝いさせていただいたりしています。
有名な不動産会社でも、宿泊の領域は全然分からないんですよね。また、ホテルを経営しているような会社ですら、ホテルと民泊では考え方がまた違うので、サポートのニーズはすごくありますね。
立地や施設の規模によっても、ターゲットとなる宿泊者の傾向やニーズも異なってくるため、求められる業態、コンセプトやレイアウト、内装のグレードから集客・接客方法に至るまで考えなければなりません。当社の場合、これまで支援してきた約4,000室の収益データを保有・分析しているため、その施設に一番合った提案ができるのが特長です。
例えば、浅草で延べ床面積1,000平米未満のビルをゲストハウスに転用したい、といった要望があったとします。しかし、本当にゲストハウスに転用するべきかどうかは誰にもわからないですよね?
当社では、まず浅草周辺のマーケット調査を開始し、小規模施設の稼働率が低いこと、ほとんどがゲストハウスであること、メインの利用者が中長期滞在の欧米人で、かつ4人以上での宿泊が多いこと、ゲストハウスに比べ大人数が泊まれる民泊の稼働率が高いこと、といった重要な事実をデータから導き出します。
そのため、提案内容としては「バックパッカー向けのゲストハウスではなく、友人や家族と泊まれるよう4人部屋を増やし、中長期滞在者むけにゲスト用のランドリーやキッチンを設けましょう」となります。
VSbias・留田紫雲社長(撮影=リビンマガジンBiz編集部)
サッカーに打ち込んだ青春。ビジネスのきっかけ
―留田社長は24歳とお若いですが、起業のきっかけは何だったのでしょうか。
私は、中学・高校とサッカーに打ち込み、Jクラブの下部組織に所属し、プロを目指したこともありました。大学でも全国大会で3冠を達成しているような強豪サッカー部に入りましたが半年で辞めました。途中で冷めている自分に気づいたんです。今思うと15歳のときには、もうプロになることは諦めてたんだと思います。
中学生の頃から全国大会に出場したりしてましたが、先輩、後輩には、W杯にも出場した昌子源や宇佐美貴史、ヨーロッパにいった井手口陽介などプロになった選手がたくさんいたんですね。彼らのような本当に上手い人たちと、自分との埋められない差を感じてはいたんです。
「たとえプロになれたとしても、プロの世界で彼らに勝てることはないだろうな。」みんながプロ目指してる中で、自分だけ目標がない状態になっていたんですね。
「目標がないのにサッカーに4年間をかけるっていうのも、もったいないな」と思い、そこでサッカーをやめる決断をしました。
すると大学生って時間が膨大に余るんですね(笑)。
サッカーばかりやってきて、ほとんどの時間をかけてたものがいざ無くなって、「自分の生まれた意味って何なのかな」なんてことを考えてしまうんです。
そうして、「自分が今後、生きていくうえで、何か生まれた意味のようなものを見つけたい」と思った時にふと、「大学卒業して約40年も働くんだったら、生まれた意味が見つかるような仕事をしたいな」と考え始めたんです。
それが18歳、大学1年生のときですね。
―思い立って、どういうふうにビジネスの世界に入っていったのでしょうか。
そこから、完全フルコミッションで携帯回線の営業をしたり、いろんなことをやったのですが、そんなことを1年やったあと、半年間留学したことがまず大きな経験でした。
交換留学というかたちで、澳門(マカオ)大学に留学し、カジノの経営について学びました。澳門大学はマカオの公立大学なのですが、面白いところはカジノ経営を専門に学ぶ学部があることでした。
カジノ経営の面白いところは、カジノで遊び終わってからも、「どうお金を落とさせるか」を設計している点です。
例えば、カジノを出ると、すぐに高級ショップあるじゃないですか。カジノに来るお客さんは、男女で来る人もいる。そこで勝ったら、絶対、女性はこういうブランドものの商品を欲しがる。まさにそういった客が欲しいものが並んでるんです。カジノ単体でみるのではなく、商業施設としてひとくくりにしてビジネスを考えるんです。
ディベロップメント、つまり街づくりという部分にも大きく影響してくる。橋や道路などインフラ計画なども重要なポイントになってくる。国や政策などにも重要な指標になるビジネスだということを学びました。
単体ではなく、背景にまであることを意識してビジネスを考えるようになったのは大きいですね。
―留学から帰ってきてからはどういったことをされたのでしょうか。
20歳で留学から帰ってきて、次はインターンをしようと思いました。東京で最先端のテクノロジーに関連した企業を探していました。
そこで、AI(人工知能)のディープラーニングを活用して、多様な業界を支援している会社で、半年間ウェブディレクターとして働きました。
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