誰もが知っている大きな公園から、子供の頃遊んでいた小さな公園まで、都内には膨大な数の公園があります。その公園の歴史や背景を調べてみると、ひとつひとつに興味深いエピソードや逸話があるようです。
今回は、東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」すぐ横、「礫川公園(れきせんこうえん)」を現地調査しました。(リビンマガジン編集部)
「れきせんこうえん」と読みます。
恐縮ながら、最初は読めませんでした「れきせんこうえん」です。礫川公園の「礫」、とは「小石」という意味です。こちらの公園は小石川台地の東端に造られた公園で、東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅の北側に位置しています。
(撮影=リビンマガジン編集部)
周辺にはご存知、「東京ドーム」、ドームに隣接した「後楽園遊園地」、「中央大学」、文京区役所も入っている「文京シビックセンター」などがあります。
公園はなんと3段仕様
(撮影=リビンマガジン編集部)
この日はあいにくの雨でした。
(撮影=リビンマガジン編集部)
画像をご覧ください。この礫川公園は、高低差をいかした3段の構造となっています。まず、こちら、下段は2本の大きなケヤキを中心とした広場になっています。
中段・都会の真ん中に「ヨーロッパ庭園」
まず入口の階段をあがると目につくものはやはりこれでしょうか。
(撮影=リビンマガジン編集部)
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中段は池と花壇のある憩いの空間となっています。この公園のシンボルといえば、高さ10mに及ぶカスケード(人工的に作られた段上の滝)です。イタリア・ルネッサンス様式を参考に、垂直に立つ鉄平石張りの壁面となります。水を吹き出すブロンズの獅子や羊の彫刻に、ローズマリーの植栽が、西欧の雰囲気を醸し出しています。
(撮影=リビンマガジン編集部)
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(撮影=リビンマガジン編集部)
こちらの花壇は区民のガーデナーによって季節の花が植えられ、通る人を楽しませてくれます。また、この花壇は、文京区ゆかりの文人あの宮沢賢治が残したデザインに由来しているようです。
宮沢賢治はかつて、本郷菊坂町に住み、童話の創作をしていました。故郷に戻ってからは、農学校で教鞭をとるかたわら「涙ぐむ目(tearful eye)」などの花壇を設計。宮沢賢治が文京区に住んでから90年目に、彼の設計図をアレンジした花壇植栽を設計したそうです。それを聞くと非常に感慨深いですね。
都会のど真ん中にこんな素敵なスポットがあったなんて、早くも感動です。もはや「公園」、というか「庭園」、と呼んだほうが相応しいかもしれません。それほど美しい風景が広がります。
この庭園以外にも園内には「関山」という種類の「八重桜」や、定番の「ソメイヨシノ」、さらにはあのサトウハチローの『小さい秋みつけた』のモデルにもなった「ハゼノキ」や、都内では珍しい「ハンカチノキ」など、沢山の植物が植えられています。季節になったら見に行きたいですね。
(撮影=リビンマガジン編集部)
中段には近所の子どもたちが遊べるように、すべり台やブランコ、砂場など、遊具もそろっています。
(撮影=リビンマガジン編集部)
噴水の横に階段があります。では上段へ上がってみましょう。
上段は公園遊具と健康器具、そして「戦没者慰霊堂」に隣接
上段にまで上がるとかなり高さがでてきました。
(撮影=リビンマガジン編集部)
きれいな庭園を一望できます。絶景です。上段をさらに登ると、そこにあるのは「東京都戦没者慰霊堂」でした。
(撮影=リビンマガジン編集部)
かつてこの一帯は軍用地でしたが、戦後、戦没者慰霊堂や公園をはじめ、都営住宅や中央大学敷地に分割されたようです。
(撮影=リビンマガジン編集部)
この霊苑は、陸軍砲兵工廠の跡地として、大戦における16万余にのぼる東京都関係戦没者の慰霊と都民の平和への願いをこめて、昭和35年6月に建立されました。
(撮影=リビンマガジン編集部)
高低差のある「礫川公園」はヨーロッパ風のガーデンから「東京ドーム」、「文京シビックセンター」、「後楽園遊園地」を一望できる景色、そして最上段に位置する「東京都戦没者慰霊堂」と、歴史と文化の詰まった公園でした。是非お近くにお立ち寄りの際はこちらの「礫川公園」へ足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
【区立 礫川公園】
所在地:
東京都文京区春日1-15
開園日:
常時開園
交通:
後楽園駅[4b]から徒歩約1分
問い合せ:
文京シビックセンター19階北側
みどり公園課
03-5803-1252