管理物件を持っていない仲介会社はいよいよ大きな岐路に立ち始めた
賃貸仲介ビジネスは大きく変化しています。賃貸仲介業領域を得意とするコンサルタントの南智仁さんが、賃貸仲介の現場で繰り返される新しい風景を独自の視点で伝えます。
繁忙期になった。1月から賃貸市場も急激に忙しくなる。このような時期、都心部の仲介会社からこうした声を聞くことが多い。「紹介できる物件がない」。またエンドユーザーからも、それに似たような声を聞く。「問い合わせをした物件のほとんどが終了している」
たしかに実際、現在都心部では年々空室物件が減少している。これは現在の入居者の更新率が高まっていることと、相変わらずの都市部の流入数の増加がそれなりに高いことが理由なのだろう。こうした状況を鑑みると、仲介会社としても、ひと昔前までの感覚で業務をしていたらあっという間に業績は落ち込む。これまで以上の営業努力が必要になっている。
いっぽうで都心部(特に東京都内)の管理会社はどこも空前の好景気のようだ。昔は更新時に賃料を値上げするということは殆どなかったが、今では当たり前のように賃料の値上げを実施している。当然、それだけ強気になっても稼働率が維持できるほどの需要が市場にあるのだろう。
冒頭の話に戻るが、仲介会社の「紹介できる物件がない」という状況は、具体的には以下のような状況である。
- ポータルサイトに掲載されている物件が次々と申し込みが入っている
- その申し込み自体も2番手、3番手まで申し込みが入っている
- 問い合わせを頂いた物件は内見前までに殆ど申し込みが入っている
このような状況だ。簡単に言えば、紹介しようにも紹介できる物件がなく、営業工数がかなり増大しているということである。
おそらくこのような「紹介できる物件がない」という現象は、今年だけでは終わらず来年も再来年も続いていきそうである。そうすると、いよいよ仲介事業単体の不動産会社は大きな岐路に立つことになるだろう。物件を紹介しようにも次々と物件が終了してしまう。かつ、ユーザーからの手数料の交渉や高稼働によるオーナーからの広告費の減少など、都心部の仲介事業のみの不動産会社にとっては、逆風しか吹いていないような状況である。
そのような状況で、仲介単体で事業を行なっている不動産会社はどのような戦略を打てば良いだろうか。大きくは、3つの戦略になるだろう。
まずひとつめは、単純に「専任物件、管理物件を増やすこと」である。専任物件や管理物件を多く持ち、仲介業を行う会社はまさに鬼に金棒状態である。仲介事業の目線で言えば、専任物件や管理物件を増加させることは、「独占広告物件」を打つことができ、反響や成約率にも大きく寄与することができる。仲介業務単体から管理物件増加施策を打つのは骨の折れる作業かもしれないが、ここを乗り超えるかどうかは、今後の大きな鍵になる。
ふたつめは、独自の集客ルートを確保することである。具体例に言えば、自社ホームページやSNS、特定の取引先からの集客がある程度見込めているということである。自社独自のサイトや自社保有のSNSアカウントからのユーザーは、ポータルサイトから流入したユーザーとは、若干性質が異なる。その仲介会社のSNSファンであったり、ある程度の信頼性のある状態で問い合わせをしたりなどかなり成約確度は高い印象だ(ただし、SNSでのDMからの問い合わせは除く。あくまで独自の問い合わせルートを確保していることが前提だ)。こうした独自のマーケティング戦略が成功している仲介会社は、広告コストなどを抑えることができ、経営効率化が計りやすい印象だ。
最後は、他社より抜きん出た営業力である。営業力が強いことで他の物件の紹介も可能になる。また営業力が強いことで、オーナーからの信頼を得ることができ専任物件を獲得しやすくなる傾向もある。とはいえ、こうした営業力強化を図ることはなかなか一筋縄ではいかない。しっかりと営業メンバーに対して細かい営業に対する指導やルール策定をしなければいけないし、従業員の定着率も大切になってくる。しかしながら一旦、強い営業力を組織全体で身に付ければ、本当に多くのメリットが享受できるだろう。
以上のように今後、仲介会社が生き残るためには、「管理物件を増やす」、「自社独自の集客ルートを作る」、「他社に負けない営業力をつける」ことがポイントだ。「頭ではわかっているものの、、」というかたも多いと思うが、現実的にこのあたりをおさえておかないと、本当に生き残ることはできないように感じる。
今後の市況を考えると、都心部はさらに数年間は、賃貸物件は高稼働が続くだろう。また、いっぽうで郊外はそもそも仲介業務単体だけではなく、管理業務と併用している不動産会社がほぼ100%だ。そう考えると、これから5年ぐらいでもしかしたら仲介単体事業の概念が大きく変わっていく可能性が高い。およそ数十年前から仲介事業の是非は問われてきたが、いよいよその是非が問われる時期になってきているかもしれない。