はじめまして。
私は韓国から日本へ留学に来て博士課程修了後、現在は明海大学不動産学部で「都市開発と社会基盤」、「測量と地図」、「地理情報システム」などの科目を担当している表と申します。
海外研修の意義
本不動産学部が設置されている明海大学の建学精神は「社会性・創造性・合理性を身につけ、広く国際未来社会で活躍し得る有為な人材の育成をめざす」ということです。このような人材育成目標を達成する一環として本校は学生たちの海外研修にも力を注いでいて、本不動産学部では①イギリスのケンブリッジ大学への短期研修、②アジアの大学への短期研修(中国、韓国)を実施しております。
現在の若い世代が活躍する未来社会は、間違いなく、世界のグローバル化がもっと進んでいるでしょう。本学部では在学生に対して、国内の不動産市場だけではなく、海外の不動産開発現場を探訪し、生きている現地教育を受けることによって、グローバルな視野と行動力を兼ね備えるチャンスを提供したい思いで海外研修を強く推進しています。
「近くて遠い国」
その中で、特に今回は韓国研修、韓国に焦点を置きながら話を進めます。
韓国は日本にとって「近くて遠い国」という言葉がよく聞かれます。「近」は当然地理的なことを指していることでしょう。「遠」は歴史的・政治的なことに起因することが背景にニュアンスとしてにじみ出ている言葉だと思います。欧米の国の目では、地理的に近くて顔色もほぼ同じのように見えるが、実際は近い分、いつも良い関係だけで済まないことも事実でしょう。
韓国を一回も訪問したことがない学生たちからは、韓国研修に関する不安や心配などの声もよく聞かれます。韓国に行ったことがないので普段接するテレビなどのニュース対象になっている事案だけが韓国人の主な関心事でありそのような人ばかりいると思うところが多いからだと思います。
研修から見えてくる韓国
ただ、実際に行ってみたらテレビなどでみる韓国とは違う韓国が発見できます。
韓国への短期研修は昨年度で既に13回実施しました。研修内容は韓国の南端のプサンからソウルへ移動しながら本校の姉妹校を訪問し、講義参加、不動産開発現場訪問、韓国学生との交流会などを行います。特に未来を担う同年代の若い人たちがお互いへの理解を深めるために、本研修では学生たちの交流会に力を注いています。最初は言葉が良く通じないので、片言の英語や身振り手振りで話し合いますが、短い時間のうちお互いに親しくなりメールアドレスの交換や今後も交流を続けたいと話し合う声もよく耳にします。
下記の写真は韓国研修時の写真です。下記のような雰囲気で両国の若い世代がお互いの理解を深めることは両国の将来を明るくするのに少しは役に立つと思います。
日韓交流のヒント
また、下記のエッセイは、日本の方の韓国訪問とは逆に、私が最初に日本に来た時の出来事を書いたものです。一回読んで頂ければ、近い隣国の間の関係はどのような関係か、どのように付き合うべきかなどのヒントを得るところもあると思います。
是非、一回お目を通して頂きたい。
タコヤキから覗いて見た日本と韓国
不動産学部 教授 表 明榮
私が日本に留学に来て間もない時のある日の夜の出来事であった。
その夜、夕食もまだ済ませてないのに、学校からの帰りが遅くなった。早く寮に戻って食事をしようと急ぎ足の中、懐かしいものを見かけ自然に足が止まってしまったことである。韓国で私の高校時代に友達とよく街で食べたものと非常に似ているものを屋台の上で売っていたからである。不慣れなことも多い日本生活のなか、高校時代を思い出される懐かしいものを見つけて嬉しい気持ちで何も考えずに2箱も買ってしまった。
また帰りの足を催促する途中、お腹も減りもう我慢できない。どうしてもひと口食べたい。街の隅で立って一個を口に入れてみた。
口に入れた瞬間、その味とは。
生まれて初めて経験する複雑な味。魚の生臭い匂い、正体不明のソース。
味の微妙なアンバランス。完全に期待外れだった。
しかし既に2箱を買ってしまい、もったいない。
当時の学生の私にとっては少なくないお金を使い込んでしまい、何とか食べるしかない。
もう一個を口に入れて見た。やっぱり人間が食うものではない。だまされた気持ちであった。果たしてこんなものが売れるのか。そしてお金を払って買う人はどんな人間なのかという気持ちであった。結局、その2箱は帰りの途中、寮のゴミ箱にそのまま捨ててしまった。
当時はそれが何か、名前も知らなかったが、後でそれがタコヤキであることを知った。
その後、日本での生活が長くなり、タコヤキに触れる機会も増え、今は夏祭りで家族と一緒に初めに覗く屋台がタコヤキ屋である。
今になって考えれば不思議な気持ちである。
今はタコヤキの複雑な味がこんなに口に合うのに、どうしてあの時は耐えられなかったのか。その理由を私なりに考えれば、一番大きな理由は私の期待が大きかったせいではないかと思う。外見だけを見て、同じものだと勝手に思い込んでしまったことに大きな間違いがあった。
私の高校時代、街で友達と遊ぶ時によく食べたものはホデュカザ(クルミお菓子)というもので中身はタコの代わりにクルミが入っており、外観はタコヤキと同じように丸い形に焼いたものである。
もし日本ではなく他の国で同じものを見つけたら、はじめから同じものだと思い込むことはなかっただろう。味が期待とまったく違ってもそんなにがっかりすることもなかったと思う。はじめから違うことを念頭において、警戒心持ちながら少しずつ買ったり食べたりしたと思う。ただ、日本では街の中でそれを売る屋台や人の雰囲気まで韓国とよく似ていて、同じものだと簡単に思い込んでしまい、警戒心を無くしていたと思う。
実際に日本と韓国は長い歴史の間、お互いに影響し合い、外観は同じように見えるものが数多い。ただ、実際には社会状況や自然環境によってまったく違う道を辿って来たはずである。
前に「韓国を日本と同じ儒教の国だと思い込むことは非常に大きな間違い。」と書いている本を読んだことがある。その本を書いた人も多分始めに外観だけを見て韓国を日本と同じ儒教の国だと思い込み、日本と同じことを期待したのかも知れない。
しかし、その本の著者が実際の韓国の社会と接することによって、期待が外れることになり上記のように書くことになったと思う。日本では日本式の儒教があり、韓国では韓国式の儒教があるはずである。言葉は同じでもその言葉に秘められた意味は非常に複雑で微妙に違う味を持っていることが当然のことである。
現在の立場上、私は日本に来て間もない韓国人と韓国に何回か行ったことがある日本人の両方と話し合う機会が多い。その時、「何で韓国ではそうなの。それはおかしいよ。」とか「日本人は非常にわかりにくい。」という話をよく耳にする。その理由はなんでもない。お互いに自分の立場に立って期待を膨らませて相手に求めるばかりだからである。
日本と韓国は長い歴史の間お互いに影響し合った国であるが、それとは別に独自の歴史や自然環境を持っているまったく違う国である。外観だけで同じことを期待することはお互い誤解を招き易い。お互いの違いを認めた上で、何回も失敗を乗り越えることによって少しずつ相手の味に口が合わせられるようになる。
タコヤキの味のように。
今の私にとって見れば、日本は日本なりに人情溢れる社会であり、韓国は韓国なりに人間味溢れる社会である。その中で人間としての楽しさも苦しみも溶け込んで複雑な味を出している。その味に慣れるまでは耐えにくい場面も何回あるはずである。特に、日本と韓国の間が難しいのは、長い歴史の間お互いに影響し合い、外観は非常に似ているものが数多いからである。誰でも外観だけを見て同じものを期待することは自然なことかも知れない。
何回も失望することがあるかも知れないが、相手に対する理解を少しずつ広げてほしい。
外観だけでも親しみを持っていることに感謝し、お互いに少しずつ理解を深めていけば必ず良い関係になる。
私のタコヤキのように。