『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009・アメリカ)
監督:ピート・ドクター、ボブ・ピーターソン
脚本:ボブ・ピーターソン、ロニー・デル・カルメン
日本語吹き替え:飯塚昭三、大木民夫、立川大樹、松本保典
(画像=写真AC)
2009年、ディズニー映画『カールじいさんの空飛ぶ家』の公開当時、CMを見る度になぜか既視感を覚えた。おじいさんが風船をたくさん付けて空を飛ぶ…。
日本にも、かつて「風船おじさん」と呼ばれた人がいた。
1992年に、琵琶湖のほとりからアメリカを目指して飛び立った「風船おじさん」を、ワイドショーはしばらくトップニュースとして取り上げた。数日後に消息が途絶え、今もって見つかっていない。
実際に映画を観ると分かるが全くの別物だ。
そりゃそうだ。ディズニーが「風船おじさん」を知るわけないもん。
しかし、私の胸にはかつて無謀ともいえる冒険に旅立った一人の男への郷愁が沸き上がった。
冒険家チャールズ・マンツに憧れていたカール少年は、同じく冒険に憧れる少女エリーと出会う。そして、チャールズ・マンツが向かった「パラダイスの滝」にいつか二人で行くことを誓い合う。二人はやがて大人になり結婚する。出会いの場所になった空き家を買って、生活を始める。二人は仲睦まじい生活を送るが、流産という悲しみが二人の生活に影を落とした。それでも年齢を重ねながら幸せの在り方を模索する。夫婦が高齢になったころ、カールは「パラダイスの滝」への旅券を購入した。しかし、その矢先にエリーが病気によって倒れ亡くなってしまう。
最愛の妻を失った78歳のカールに残ったのは、二人の思い出が詰まった家だけだった。
その頃には、家の周りは開発されて、カールの家も地上げ屋によって立ち退きを要求されていた。不運なことに、カールは立ち退きの交渉相手にケガをさせてしまう。いよいよ家に残ることが難しくなったカールは、家に大量の風船をつけて、家ごと「パラダイスの滝」を目指すのだった――。
ここまでが、映画開始約20分のストーリーだ。カール少年がじいさんになっていく様子や、家を飛ばす動機と目的をテンポ良く教えてくれる。動機は家に住み続けるためであり、目的はエリーとの約束を果たすためだ。
ディズニー映画でありながら、主人公が高齢者というミスマッチが小気味好かった。
屋根に付いている風見鶏を舵に、カーテンを帆にするというリフォーム(?)によって、家は自在に操られて空を飛ぶ。
「パラダイスの滝」の場所のモデルになった南米「ギアナ高地」
カールじいさんにとって「パラダイスの滝」への旅は、妻の死を受け入れ、別れを告げるための旅でもあった。終盤、家が再び飛び立つシーンがある。そのとき、カールは家財道具を次々に捨てていく。ソファや机、貯金箱など、どれもエリーとの思い出の品ばかりだ。カールにはそれを捨ててでも飛ばなければならない使命感に突き動かされている。このとき、最愛の人の喪失という過去から立ち直ったのだと感じた。
超高齢化が進む日本では、老後のセカンドライフ、第二の人生といった言葉をよく耳にする。そういった中で、カールじいさんはエキセントリックな第二の人生を送ったと言えるだろう。
現実においても、孤独を感じた老人たちが少年期の夢を思い出し、風船を家にくくりつけて飛び立てば…それは「風船おじさん」になってしまうのでやめた方が良さそうだ。