「桜の国」で舞台となった新井薬師前の歩道橋(画像=リビンマガジン編集部撮影)
■書名:夕凪の街 桜の国
■著者:こうの史代
■出版:双葉社
■定価:800円+税
静かに、確実に読者の心を動かす漫画だ。
『夕凪の街 桜の国』は、漫画家・こうの史代の代表作だ。こうのは、昨年公開されたアニメーション映画『この世界の片隅に』の原作者として、また脚光を浴びた。
原爆投下から10年後の広島を描いた「夕凪の街」と、そこから30年後の被ばく2世を描いた「桜の国」からなる一冊だ。
原爆が人々から何を奪ったのかを、それぞれの女性の視点から描いており、漫画には原爆の描写はほとんどなく、主人公の心の動きを主軸にして進んでいく。
第8回文化庁メディア芸術祭大賞を受賞している。
静かに告発する、原爆は何を奪ったのか
「夕凪の街」の主人公は、家族のほとんどを原爆で失い、「自分だけが生きていて良いのか?」という思いに悩む「皆実(みなみ)」という女性だ。
明るい性格で、事務員として働きながらも、いつ来るか分からない原爆症の症状に怯えながら生きている。
作中の原爆投下から10年を経た広島の街は、路面電車や商店などがあり、とても焼け野原だったとは感じさせないほど活気づいている。
一方で、街を少し外れた川沿いの空き地には、掘っ立て小屋のような家がたくさん並んでいる。
漫画では至る所に「立ち退き反対!」という張り紙があり、違法建築であることが伺える。実際に広島には1970年代中ごろまで「原爆スラム」とよばれる地域があり、家を失った人々が身を寄せ合って生きていたという。
主人公の皆実もここで、母と暮らしている。
冗談を言い合いながらの平穏な生活だ。
雨が降るたび、慣れた手付きで屋根の補修を行う。
あの日からずっと、こうして生活してきたのだろう。
ある日、皆実は意中だった同僚の男性に告白されるも、素直になれない。
またも「自分だけが幸せになっていいのか」という思いがわいてきて、その場を逃げるように去ってしまう。
そして、地獄のような原爆投下直後の風景が一瞬フラッシュバックする。
『わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ、思われたのに生き延びているということ』
焼け焦げた遺体を踏みながら家族を探した、あの日、つらい記憶が体をしばる。
それでも、彼の思いを受け止め、自分のこころの中を吐露することで少しだけ前に進もうとする皆実だが、その後、すぐに原爆症の症状が現れてくる。
そこから先は本書を手にとってほしい。
一コマ、一コマが重く響いてくる。
原爆は何を奪えなかったのか
「桜の国」の主人公は、夕凪の街の主人公である皆実の姪にあたる「七波(ななみ)」だ。
東京の新井薬師と田無、そして広島を舞台にし、幼少期と大人になった七波の2部構成になっている。
主人公の七波は東京生まれ、原爆とは縁遠い人生だ。
しかし、広島生まれで被爆者の母親と祖母を原爆の影響で亡くした過去がある。
漫画の中で、弟の凪生(なぎお)が結婚差別を受けていると思わせる描写がある。
持病の喘息が原爆の影響からくる遺伝だと疑われ、恋人の両親から会わないでくれと言われるのだ。
七波も他人事だと思っていた原爆に自分の人生が動かされていると知ることとなる。
その後、七波は、父を追って広島へ向かう。
そこで、家族のルーツに向き合うことになる。
漠然と感じていた不安を見つめ、両親のことを深く愛せるようになる。
七波が生まれ育った「桜の街」と呼ぶ新井薬師前の街並が美しい。
繰り返すが「夕凪の街」と「桜の国」は実際の戦闘を描いてはいない。
しかし、戦後の市井の暮らしを描きながら、戦争の罪を告発している。
同時に、原爆でも奪えなかったもの、我々に受け継がれているものもしっかりと描いている。