「ぼくんち」(2003・日本)
監督:坂本順治
脚本:宇野イサム
出演:観月ありさ、矢本悠馬、田中優貴、他
コメディなのか、悲劇なのか、はたまたヒューマンドラマなのか、マーブル模様のような感慨が残る映画だ。
ぼくんちによく似た家 (画像=写真AC)
映画『ぼくんち』は、漫画家・西原理恵子の同名タイトルが原作だ。
舞台は「関西のようで、で、ないような」水平島、島民は皆一様に貧しい生活を送っている。ある日、島の中でも特に貧しく子ども2人で暮らしていた一太と二太のもとに、半年も家を空けていた母親が、かの子という姉を連れて帰ってきた。
「すんごいな。お母ちゃんだけやのうて、お姉ちゃんも一緒にできた」と喜ぶのは、まだ幼い二太だ。
母親はすぐにいなくなってしまうが、そこからかの子・一太・二太3人の生活が始まる。
面倒見が良く優しいかの子に、すぐに気を許し甘える二太に対し、一太はなかなか素直になることができない。やがて一太は自立するために、島で一番の不良であるコウイチのもとで働く。シンナーの売買や集金活動といった悪事(商売)に手を染める一方で、沢山のことをコウイチから学んでいく。このまま3人の生活が続くかと思いきや、母親に家を売られてしまい、『ぼくんち』がなくなってしまう―。
一見すると、大自然に囲まれた水平島の風景は、ほのぼのとした牧歌的な世界だ。しかし、人々の生活は荒廃している。学校に行かない子供たちや、九九ができない大人、「放尿禁止・糞便禁止」の島の公共アナウンスなどは、貧しさだけが理由ではない社会の底辺を映し出している。島民の日常はユーモラスで、むしろ貧しさのぬるま湯に浸かり、好んで遊惰な生活を送っているようにも見える。
このすさんだ世界において、懸命に生きるコウイチやかの子たちはむしろ異様な存在だ。手段を選ばず金儲けをするコウイチや、ピンサロで働くかの子は、楽しく暮らしている住民とは異なり、強い焦燥感を持っている。かの子が「みんな幸せになりたいだけやのに、何があかんのやろ」と、漏らした言葉に「あかんあかん、幸せの敷居は下げなあかん」と、返すピンサロ店の店長もまた、島民が持つ怠惰な現状に満足しているのだろう。
『ぼくんち』は、極端な世界を作り上げることで、「生きていくとはなにか」という疑問を観客に投げかけている。現状維持のままでも生きていくことはできる。しかし、自らが変化を起こさなければ、人生が好転することはない。
終盤、「ひとんち」になってしまった家に、一太と二太が忍び込む。
その帰り、「なんかのチャンピオンになって、金持ちになって、あの家買い戻してやる」と一太は言う。自らの人生に変化を起こした瞬間だった。
ぼくんちは、一太の人生の目標となったのだ。