前回の記事では、「井伊家の屋敷は現在何になっているか」というテーマで取り上げました。こうなると気になるのは「井伊家以外の大名」ですね。


1、都内の大型施設・大型公園はもともと広大な屋敷跡が多い


(1)東京大学


東京大学は「加賀100万石」と称された加賀前田家の上屋敷です。かの有名な「赤門」は、上屋敷の現存ということを知っていましたか?この門は徳川将軍の姫君が前田家に「輿入れ」するときに、将軍家の許可を得て特別に建造したと伝えられています。


(2)小石川後楽園


東京ドームのある小石川後楽園。この場所は徳川御三家の水戸徳川家の上屋敷でした。水戸徳川家は参勤交代の対象外とされ、常時この地を拠点としていたといいます。


(3)防衛省


新宿区市ヶ谷の防衛省は水戸と同じく御三家の尾張徳川家。江戸時代に徳川宗家を守った場所はいま、日本の国防を担う重要基地となっています。


(4)六本木ヒルズ周辺


六本木にあるヒルズ。テレビ朝日の本社もある場所ですが、このあたりは幕末の主役、長州藩の下屋敷です。テレビ朝日のニュース番組を見ていると、「毛利庭園」という言葉がでてきます。これは長州藩の藩邸であったことを意味しており、毛利家とは長州藩の藩主の名前です。


(5)新宿御苑


桜の奇麗な新宿御苑。この地域は信濃高遠内藤家の屋敷でした。この一帯は「内藤新宿」という宿場町になったことからも名前を見てとれます。現在の内藤新宿の名前は残り、日本有数の繁華街である新宿の東側を構成しています。




2、大名家が密集していた「山の手」


現在、皇居を囲むようにして、「山の手」という通称が使用されています。この山の手は台地として、武家屋敷の設置場所になりました。江戸時代に何度か発生した洪水に対しての対策があったのかもしれません。なお、山の手に対して商人が居住した地域が「下町」といわれています。この言い方は今も使用されていますね。

毛利庭園のように、施設面や住居名などで昔、その場所が屋敷跡だったことを示す場所も多くあります。初夏の屋敷跡散策、たくさんの候補がありますね。

 
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