2017年度のNHK大河ドラマ「直虎」が話題です。戦国時代に活躍した「おんな大名」井伊直虎を主役としています。この井伊直虎、後の井伊直政(近江彦根藩初代藩主)の庇護者として戦国を生き抜きました。直政は徳川家康の重臣となり、大きな屋敷を賜ります。


1、井伊家の上屋敷は現在の憲政記念館周辺


江戸時代の大名は領地と江戸を定期的に滞在する「参勤交代」のもと、井伊家の子孫たちも彦根藩の当主として江戸に詰めていました。井伊家のような大大名は、上屋敷・中屋敷・下屋敷を賜り、用途を分けていました。


上屋敷…江戸滞在中の大名の執務場所、藩政の外交場所

中屋敷…先代藩主や子息の居住場所

下屋敷…非常事態(江戸の場合は往々にして大火事)の際の避難場所


皇居を中心に、上屋敷が近隣、中屋敷や下屋敷は郊外に配置されています。


井伊家の上屋敷は現在の憲政記念館周辺。目と鼻の先の皇居門は「桜田門」です。歴史に詳しい方であれば、すぐにピンとくることでしょう。


1860年(万延元年)、当時の彦根藩主で大老の地位にあった井伊直弼は、襲撃を受け命を落とします。この事件は「桜田門外の変」と呼ばれ、幕末へ向かう歴史の大きな転換点になりました。桜田門は井伊家の上屋敷からすぐ。井伊直弼は、屋敷を出たほんの数十分のあいだに、襲撃されたことがわかります。




2、井伊家の中屋敷は現在のホテルニューオータニ付近


井伊家の中屋敷は現在の「ホテルニューオータニ」付近です。この付近はやはり事件で名高い「紀尾井町」と呼ばれていますが、この由来は「紀伊(藩)・尾張(藩)・井伊(家)」を合わせたものといわれています。紀伊も尾張も御三家のため、徳川家を名乗っていました。そのため井伊家だけが大名の名字なのですね。


なお、井伊家の下屋敷は現在の早稲田大学付近と、明治神宮付近に配置されていました。

東京に住む方は、地方で育ち上京してきた、という方も多いと思います。いつも癒されているあの公園や、もしかしたら現在の自宅近くに、郷里の藩主様の屋敷があったかもしれませんね。Googleなどで「江戸 屋敷 場所」と入力すると様々なページが出てきます。これからは散歩に適した気持ちのいい季節。「屋敷跡めぐり」なんていかがでしょうか。

 
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