(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

今から188年前の今日、大久保利通は薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)に、琉球館附役の薩摩藩士・大久保利世と皆吉鳳徳のニ女・福の長男として生まれた。大久保利通の父は下級藩士であったが、利通は幼い頃から討論に強く、読書好きで成績優秀であり、神童と呼ばれたという。

しかし、出自に強みを持たぬ利通が初代内務卿(実質上の首相)を務めるほどまでに出世し、明治政界のリーダーとして活躍できるまでに至ったのは、能力はもちろんだが、名を売って行くための戦略がうまかったといえるのではないだろうか。

それを証明する有名な話がある。利通が27歳の時、当時の新藩主・島津茂久の実父・忠教(後の久光)に何とか近づこうと考えた。そのために忠教が欲しがっていた本を人づてに聞き出し、苦労してそれを入手。そして「その本を貸しましょう」という手紙を送り、且つその手紙の中に自分の名前はもちろん、政治信条や利通の主義主張をしっかりと綴ったしおりを偲ばせる、という何とも手の込んだ策略を実行し、望み通り忠教から声がかかった。

しかし、自分とは程遠い人に何とか近づこうと思った時に、欲しいものを聞き出す人的ネットワークや、物の流通が盛んではない時代にそれを探し出す行動力、そして本を貸し、恩を売りつつ、自らの思うところを存分に伝えるというアイデアは、傑出している。

後の大器の片鱗を表しているといえよう。

幕末の迎賓館 仙巌園の魅力

さて利通の故郷である鹿児島県。県内の名所、仙巌園をご存知だろうか。

仙巌園は1658年に島津光久によって建てられた別邸だ。錦江湾や桜島を庭園の景観にとりいれた、雄大な景色が最大の魅力。島津斉彬もこよなく愛したと言われ、徳川将軍家に嫁いだ篤姫も足を運んだそうだ。 

幕末から近代にかけては、薩摩藩・鹿児島県の迎賓館のような存在でもあったという仙巌園。幕末にはオランダ海軍将校や幕臣勝海舟、イギリス公使パークスが、明治以降になると、大正天皇、昭和天皇をはじめとする皇族方、ロシア皇太子ニコライ2世、イギリス皇太子エドワード8世など国内外の数多くの要人が訪れた場所だ。

今では鹿児島市内を周遊する「カゴシマシティビューバス」も停車し、多くの観光客が訪れる。豊かな自然に恵まれた鹿児島に、観光で訪れてみてはいかがだろうか。

 
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