(画像=リビンーMagaZine Biz編集部撮影)

8月28日は「バイオリンの日」だ。

1880(明治13)年、東京・深川の楽器職人である松永定次郎が、国産バイオリンの第一号を完成したのがこの日だ。

当時31歳の松永定次郎が「三味線に似た、音色の良い楽器がある」と聞き、バイオリンを探しまわったという。結果、東京・神田駿河台のニコライ堂にあったものを、楽師に頼んで見せてもらい、詳しい図面を採った。そして輸入ラシャの外箱を材料にして、初めてバイオリンを作ったのが、1880年の8月28日だ。

当時はバイオリンという楽器のことを知るものも少なく、ましてや演奏するものもいなかった。いくら作ったところで、買ってくれる人はなく、松永は良いバイオリンを造ることに熱中しながら、修繕も手がけていたそうだ。そして、明治40年春の博覧会に出品したバイオリンが宮内省に買い上げられるまでになった。

この時期は、ほかにも上質なバイオリンを作る職人が次々と現れた。その中に一人が鈴木政吉で、「鈴木バイオリン」の創業者である。

深川地域の土地事情は?

深川は、東京都江東区の町名である。また、全般的に「深川」と呼ばれる場合は、深川1~2丁目だけでなく、より広域を指し、かつての深川区全域にあたる。深川区は1947年3月15日廃止・統合され、江東区となった。

深川丼(深川めし)が名物としても知られる深川地域は、慶長の初期(1596~1614)、江戸がまだ町づくりをはじめたばかりのころ、摂津国(現・大阪府)から移住してきた深川八郎右衛門が開拓を行い、その深川の苗字を村名とし、これがこの地一帯をよぶ名称となった。

江戸初期には漁師町だったが、明暦の大火(1657)以降に開発され、万治2年(1659)に両国橋が架けられたことで急速に都市化し、永代寺(現・江東区富岡)の門前は料理屋や屋台の並ぶ繁華街になり、やがて信仰と行楽の場所として多くの人々が訪れる地域となった。

1947年の特別区設置にともなう統廃合の結果、現在は「江東区」となった深川区。江東区の地価は、東京都平均よりも低く、2018年3月に発表された東京都の地価平均が、340.3万円/坪、102.9万円/平方メートルであるのに対して、江東区の地価は178.4万円/坪、54.0万円/平方メートルである。

江東区は国際展示場や豊洲、東雲などのオフィス街がある一方で、亀戸や門前仲町、清澄白河など「住みやすい街」として紹介されることも多いく、全体として土地価格は上昇傾向にある。不動産を持つ場合もタワーマンション、戸建てなど選択肢は多いと言えるだろう。

(敬称略)

 
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