(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

1841年7月17日に、イギリスで週刊風刺漫画雑誌「パンチ」が創刊された日だ。ヘンリー・メイヒュー、マーク・レモン、エビネザ-・ランデルズなどが、フランスの日刊風刺新聞「ル・シャリヴァリ Le Charivari 」に触発されて創刊したといわれている。雑誌のタイトルには、その当時過激な言動の人形芝居のキャラクターだった「ミスター・パンチ」の名前から「パンチ」とつけられた。副題には触発されたフランスの日刊風刺新聞の名前を取り「The London Charivari 」とした。

週刊「パンチ」は、創刊の1841年から150年もの間、多くの読者から愛されてきたが、時代の流れとともに発行部数は減少し、1992年の301巻を最後にとうとう廃刊となった。

イギリスの「パンチ」の派生誌としては、横浜でスウェーデンの画家であるチャールズ・ワーグマンによって1862(文久2年)に日本語版「ジャパン・パンチ」が刊行された。中国でも「チャイナ・パンチ」が刊行されている。

現代において多くの人が親しんでいる「漫画」と、この時の漫画は異なる。「パンチ」には挿絵が描かれており、その横に文字がびっしりと書かれている。絵本をイメージした方が良いかもしれない。

「ジャパン・パンチ」を刊行したワーグマンは、横浜の外国人居留地に暮らしていた。居留地とは幕末に条約締結国の人々の居住と営業が許可されているエリアの事だ。

当時の横浜の外国人居留地は山下居留地(現在の山下町と日本大通の東側半分)と、山手居留地(現在の山手町)があった。ワーグマンは山手居留地に暮らしていたそうで、現在の、レストラン「山手十番館」の近くに居を構えていたという。

ちなみにこの「山手十番館」は、昭和42年に創業し1階がティールーム、2階がフレンチレストランとして営業している。その瀟洒な洋館は、当時の山手の面影を今に残す佇まいだ。

旧山手居留地周辺の土地公示価格

ところで当時ワーグマンが暮らしたエリアの土地は現在いくらくらいなのだろうか。土地公示価格を見てみよう。横浜市中区山手町73番7あたりで、1坪あたり206.6万円。石川町駅から徒歩15分圏内というアクセスの良さに加えて、港の見える丘公園や山手公園、教会や学校などが点在し、落ち着いていて美しい街並みが続いている。異国情緒漂うエリアで、今では大変人気が高い高級住宅地として知られている。

1891年に横浜の地で生涯を閉じたワーグマン。今の山手エリアを見たらさぞや驚くだろう。

 
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