(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

7月13日は「日本標準時制定記念日」だ。

普段、我々がなにげなく過ごしている「時間」は、自分が位置している国の標準時刻によって決められている。これは、旅行や出張などで海外に行ったときや、電話やインターネット上でのやりとりでも時差があることで実感できるだろう。今回は、この日本における標準時刻について掘り下げていきたい。

日本標準時が制定されたのは、1886(明治19年)年の7月13日のことだ(※公布文に署名された7月12日を記念日とする考え方もある)。

きっかけは、標準時制定の2年前にあたる1884年のことだ、米国のワシントンで開催された「本初子午線並計時法万国公会」だ。日本を含む25カ国の代表が参加した。会議の結果、経度0度0分0秒の本初子午線を、イギリス・ロンドンの「『グリニッジ天文台』を通る子午線とする」という、国際的な基準が定められた。

これにより24個の経帯時ができた。経帯時とは、1時間刻みに整数時間だけ異なる標準時のことだ。これで世界各地の標準時が定められ、日本では東経135°の子午線が通る兵庫県明石市の時間が標準時となった。

日本標準時が適用される際には、混乱を防ぐため、前もって標準時は国全体で守るべきものであることと、西側の地方はいままでよりも少しだけ時間が早くなり、東側の地方では少しだけ遅くなるという周知を図っていったそうだ。こうして、1888年1月1日午前0時0分から日本標準時の使用が開始されたのだ。

日本列島は南北に長いため国内に時差はない。しかし、世界に目を向けてみると、それが当然だとはいえないとわかる。広大な国土を持つアメリカでは、国内だけで4つのタイムゾーンが存在し、最大で3時間もの時差が発生してしまう。また、世界一国土の広いロシアにおいては、11ものタイムゾーンが存在する。トラブルを防ぐためにも、ビジネスなどで海外と連絡を取る場合、地域の時差事情を把握しておかなければならない。

その一方で、中国は広大な国土を持つにもかかわらず、国内に時差はない。

標準時子午線が通る明石市の土地事情

さて経度135°の子午線が通る兵庫県明石市は取り組みのひとつに、「土地区画整理事業」の実施がある。これは、未整備の市街地の土地の区画や、道路、公園、下水道などを整理するもので、保留地の分譲やそれぞれの土地からの減歩によって成り立っている。日本標準時は明石市天文科学館で今も変わらず刻み続けられているが、土地は変化しつつあるようだ。

 
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