「笑っていいとも!」の収録スタジオがあった新宿アルタ (画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

1989年のこの日は、歌手の美空ひばりに国民栄誉賞が贈られた日だ。

美空ひばりは、「歌謡界の女王」とも呼ばれた昭和のスーパースターだ。「川の流れのように」「愛燦燦(あいさんさん)」など数多くのヒット曲を歌い、収録した曲はなんと1,500曲を超えていたという。

そんな国民的歌手の美空ひばりは、本名・加藤和枝として1937年神奈川県横浜市に生まれた。8歳のころから歌手活動をはじめ、12歳にはデビューを果たした。幼い頃から大スターへの道を歩み始めた美空は、歌手としてだけでなく、舞台や映画にも女優として出演。演技への評価も高かった。

美空ひばりが昭和の国民的スーパースターとしていまもなお人々の心に残っているのは、天才的な歌唱力はもちろん、その波乱万丈な人生にもある。

俳優・歌手の小林旭との結婚と離婚、実の弟が起こした不祥事や、暴力団との関わりが非難され、紅白出場の辞退を余儀なくされるなど、苦難が続いた。さらに、母・貴美枝、実弟のかとう哲也と香山武彦が立て続けに亡くなり、1987年には美空自身にも病魔が襲った。

両側大腿骨骨頭壊死・慢性肝炎で緊急入院し、その後東京ドームで伝説の「不死鳥コンサート」が行われ見事復活を果たしたものの、翌年の1989年に再入院し、6月24日に帰らぬ人となった。

美空ひばりの死去は人々に大きなショックを与え、その後「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」を目的とした国民栄誉賞が贈られた。女性として初めての受賞だった。

いいとも!に出演した晩年の美空ひばり

52歳という若さで亡くなった美空ひばり。実は、晩年の1988年の10月28日には国民的長寿番組である「森田一義アワー 笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにも出演をしていた。

番組は新宿駅東口の駅前にある新宿アルタ(正式名称は新宿ダイビル)の7階にあるスタジオアルタから生放送で放映されていた。現在スタジオは閉鎖されたものの、アルタのビルがある土地の公示価格は1坪あたり約1億1,200万円と新宿でもっとも地価が高い場所となっている。

また目黒区内の美空ひばり自宅は、今では美空ひばり記念館として全国のファンに公開されている。

美空ひばり記念館のように公開しなくても、自宅を記念館にするケースは相続対策として増えているという。一般に公開せずとも、被相続人の遺品を置いておくための一時的な留置場として使うのだ。死語の混乱したタイミングでは形見分けをするのも非常に労力がかかるための措置だ。高齢化が進んでおり、相続人自体が高齢であることも多いため、今後も増えそうだ。

記念館に限らず、美空ひばりゆかりの地を行くときは、昭和の歌姫に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

(敬称略)

 
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