三鷹 玉川上水沿いにある太宰碑(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
小説家・太宰治が入水自殺をしたのは、1948年6月13日のことだった。
太宰治といえば、『走れメロス』や『富嶽百景』『斜陽』『人間失格』など、軽妙でウィットに富んだ作品から深く切実な作品まで数々の名作を残した作家だ。その幅広い作風は、彼の波乱に満ちた私生活が影響しているとも言えるだろう。
1909年、太宰治(本名・津島修治)は、青森県北津軽郡にある大地主の家の11人いる子どもの中で10番目の子として生まれた。幼少期は活発な性格で成績も優秀だった。14歳のころ、地元の名士であった父を52歳の若さで亡くしたものの兄が家を継ぎ、太宰は青森中学校(現・青森高等学校)へ下宿先から通った。このころから芥川龍之介や志賀直哉などの日本文学に親しみ、特に兄が東京から持ち帰った同人誌にあった井伏鱒二の『幽閉(山椒魚)』を読んだ時は、座っていられないほどに興奮したというエピソードもあるほどだ。
17歳ごろから自身でも小説を書くようになり、作家を志すようになった太宰であったが、18歳の頃に芥川龍之介の自殺に衝撃を受けてからは、自身も20歳の頃に最初の自殺を図るなど、私生活の乱れが目立つようになっていった。その後もことあるごとに自殺未遂を繰り返し、4度の自殺未遂のうち2回は愛人や妻を道連れに心中しようとする、非常に身勝手なものだった。
太宰治は左翼運動や大学の除籍、薬物中毒、2度の結婚と浮気を繰り返しながらも、小説家となってからは数々の名作を生み出してきた。そしてついに、太宰は38歳の若さで愛人と自殺してしまう。遺書には「小説を書くのが嫌になった」と自殺の原因が書かれていたという。
太宰治が住んだ三鷹
太宰治が入水自殺したのは、約7年半暮らした東京都三鷹市に流れる玉川上水だった。玉川上水は、江戸時代に飲料水不足を解消するために1653年に作られた人口の川である。東京都の羽村から四谷まで全長43kmある上水のどこかで太宰は命を絶ったのだ。
太宰治の家は、現在の三鷹市下連雀2丁目にあった。ここはJR中央線の三鷹駅から徒歩約12分のところで、近くには三鷹の森ジブリ美術館や井の頭恩賜公園もある。三鷹は上水の自然豊かな表情を残しながら、商店街も充実しているため、住みやすい街として人気のエリアでもある。
(敬称略)