(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
1906年は、国際共通語「エスペラント」の普及が日本で本格化した年だ。これを記念して日本エスペラント協会によって制定されたのが6月12日の「エスペラントの日」である。
現在、国際語として一般的なのは英語である。ネイティブの英語話者以外は、母国語とは別に英語を学ばなければいけないことも多い。英語を母国語としない民族にとって、新たな言語の習得は労力を必要とするものだ。
一方でエスペラント語は、世界中の人々が簡単に学ぶことができ、平等な立場で使うことができる中立的な第2言語として作られた共通語である。ポーランドの眼科医であり言語学者でもあるラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ(1859〜1917)が、1887年に考案した。
ザメンホフが生まれたポーランドは当時ロシアの領土であり、ポーランド人やロシア人、ドイツ人、ユダヤ人といった言語や宗教が異なる民族が住み、民族同士の争いが絶えなかった。エスペラントは、こういった異なる民族が平等に使える言語として生み出されたのだ。
エスペラントは、ヨーロッパの言語を元にアルファベットで表記され、規則的な発音や文法によって成り立っている。アルファベットの基礎的な知識が必要となるため、アルファベットを使用しない民族にとっては完全ではないものの容易であり。日本でも古くから注目され、日本文学にも大きな影響を与えた。
日本人作家の中でエスペラントの影響を受けた人物として有名なのが、宮沢賢治(1896〜1933)だ。賢治は実用レベルまでの習得には至らなかったものの、自らの作品をエスペラントに翻訳しようと試み、生まれ育った「岩手」をモチーフにした理想郷のことを「イーハトーブ」とエスペラント風に呼んだ。
賢治がエスペラントを学んだ東京都千代田区の不動産
宮沢賢治がエスペラントを学ぶようになったのは、1926年12月の上京時だった。タイピスト学校に通っていた際にエスペラントを知ったそうだ。
賢治が通っていたタイピスト学校は、東京都千代田区神田の美土代町7番地にある神田YMCAの中にあった。神田YMCAは、2003年まで多くの青少年に諸外国の思想や学問、スポーツなどを紹介した。千代田区は古くから続く東京の中心地であり、坪単価平均が約1780万円と、23区のなかでも2番目に地価が高いエリアである。皇居や政治機関、警視庁本部、新聞社、金融機関など、現在も日本の政治経済の中心地だ。神田周辺は住みたい街としても人気がある。
(敬称略)