(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
1965年(昭和40年)6月3日は、佐藤栄作が第61代内閣総理大臣に任命され、第1次佐藤(第1次改造)内閣が発足した日である。
佐藤栄作は、1901年に山口県熊毛郡の酒造を営む家の三男として生まれた。東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、鉄道省で官僚としてのキャリアを積み、1948年から民主自由党に入党、政治家生活がスタートした。親族にも政治家が多く、実兄には第56、57代の内閣総理大臣を務めた岸信介が、遠縁には第48代内閣総理大臣の吉田茂がいた。そして、現在の内閣総理大臣である安倍晋三も大甥にあたる。
1964年7月に自民党総裁選挙に出馬した佐藤は、僅差で池田勇人に負ける。総理大臣の座を勝ち取ることができなかった。しかし、11月に池田勇人の病気退陣を受け、自民党後継総裁に指名されたことで、内閣総理大臣に就任し、第1次佐藤内閣が発足したのだ。
翌年に内閣改造が行われてからの佐藤栄作の活躍はすさまじく、第1次佐藤(第1次改造)内閣だけでも「日韓基本条約」の調印や、大阪で行われた「日本万国博覧会」の決定、今の成田国際空港にあたる新東京国際空港の建設予定地を決定していった。
佐藤の功績は、戦後日本の高度経済成長を定着させただけではない。1965年8月に沖縄を訪問した際には「沖縄の返還なしには戦後は終わらない」と国内外に宣言し、アメリカとの交渉を重ねて、4年後には平和的な沖縄の土地の祖国復帰が果たされた。
このような佐藤の自由を愛し、平和に徹する基本姿勢は「核を持たず、つくらず、持ちこませず」という「非核三原則」の提唱にも現れていると言えるだろう。こうした平和への働きかけが、日本で初めてのノーベル平和賞の受賞にも繋がったといえる。
このように、佐藤栄作は国内の政治だけでなく、外交政治にも精力的に取り組んでいった。ちなみに、国民の祝日である「敬老の日」「体育の日」「建国記念の日」を作ったのも佐藤栄作だ。総理大臣の就任期間は7年8カ月、2798日という長期の在任日数になった。この記録は昭和以降の歴代総理大臣のなかでも最長の在任期間となっている。
歴代首相が住んだ総理大臣公邸は事故物件?
永田町二丁目に、首相の住居である総理大臣公邸がある。同じ敷地の中に二つの建物があり、公務を行う建物を「官邸」、住居建物を「公邸」と呼ぶ。
歴代の首相が住んだ公邸だが、様々な幽霊騒ぎの逸話が残っている。森喜朗元首相は、総理大臣時代に軍靴の音が聞こえ、寝室の前で止まった。急いで部屋を出ると誰もいなかったという。その話を聞いた小泉純一郎元首相は、「ありえない」と一笑に付したそうだが、自身が総理大臣に就任した際には、神職を呼びお祓いをきっちりと行ったという笑い話もある。
思えば、総理大臣公邸では五・一五事件や二・二六事件といったクーデターが起こっており、犬養毅などの死者が出ていることは歴史的事実であり、心理的瑕疵物件であるとも考えられるかもしれない。
心理的瑕疵物件の定義は非常に曖昧だ。どのような事件が心理的瑕疵に当たるのかがはっきりしない。
例えば、江戸時代の忠臣蔵の舞台となった吉良邸の周辺は現在も心理的瑕疵や事故物件の認識があるのだろうか。
詳しくは下記記事を確認いただきたい。