(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影 横浜市開港記念会館 重要文化財:1989年9月2日登録))
1950年(昭和25年)の5月30日に「文化財保護法」が公布されたことに由来している。
「文化財保護法」制定の目的は、国宝・重要文化財などを保護・活用するための法律で、国民の文化的向上、そして世界文化の進歩に貢献することと記されている。
文化財保護法制定の背景には、1949年(昭和24年)1月26日に奈良・法隆寺の金堂で発生した火災がある。この火災で、世界的にも有名であった貴重な金堂の壁画のほとんどを焼失してしまうこととなる。しかも、このとき法隆寺の金堂の壁画の保存事業の最中のことで、当時国会でも大問題として取り上げられたとの記述が議事録に残されている。
この火災についての詳細な経緯は1949年(昭和24年)2月12日の参議院文部委員会での議事録でうかがい知ることができる。
議事録によると、当時、壁画保存事業の一環として、壁画の模写を行っていた。そのとき、季節は冬で気温も低く、模写作業を行う画家のために、電気座布団を持ち込んだそうだ。その電気座布団が原因で火災が発生したのではないか…という。現在ではとても考えられないようなことだが、このような原因で貴重な壁画は失われてしまったのだ。まだ、文化財保護についての知見は少なく、火災予防についての対策も不十分だったといえよう。
この一件がきっかけとなり文化財保護に関する根本的な改革が望まれるようになった。そしてこれまでの「史蹟名勝天然記念物保存法」「国宝保存法」「重要美術品等保存法」を統合させた「文化財保護法」が制定されたのだ。
この法律では、たとえば個人の土地で土器や石器などを発見したというような場合には、出土品(遺物)は個人の財産としてではなく「埋蔵物として、発見者が所轄の警察署長に発見の届け出を行うこと」と定められている。
また、終戦間もない時代であった当時、戦災に見舞われたり、経年劣化している国宝の修復や保存についても懸念されていた。それから国宝や重要美術品などの海外への散逸も深刻な問題になりつつあった。そのような時代背景もあり、文化財として保護することは必要不可欠であったのだ。
(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影 氷川丸 重要文化財:2016年8月17日登録)
文化財保護法と認められる文化財は、まず有形と無形とに分類される。さらに詳しくいうと、有形文化財・無形文化財・民俗文化財・記念物・文化的景観・伝統的建造物群というように分類されている。
それらの成り立ちや価値など総合な視点から重要性を十分に考慮して、文部科学省・文化庁長官・都道府県知事・市町村長などによって指定、選択、選定、認定されると、登録される。
埋蔵文化財と不動産の関係
不動産と文化財の関係も深いものがある。日本の土地には開発によって貴重な遺跡などが失われないように、文化庁によって埋蔵文化財包蔵地という指定がなされている。埋蔵文化財包蔵地で建築工事をおこなう際は、着工の60日前までに各地の教育委員会への届け出が義務づけられている。
調査などによって文化財が埋蔵されていると認定されると、本格的な発掘調査がなされ、工期が遅れることがある。さらに、重要な文化財であれば保護のための特別な手配も必要になり、その費用負担も必要になる場合がある。
もちろん埋蔵文化財の多くは、日本固有の文化を伝える財産であるが、不動産開発業者や地権者にとっては厄介な代物でもある。