(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)(撮影場所:八ヶ岳)
1953年(昭和28年)5月29日、ニュージーランド出身の登山家であり冒険家のエドモンド・ヒラリー(1919〜2008年)とチベットのシェルパ族であったテンジン・ノルゲイが世界で初めて世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)の登頂に成功したことに由来している。
エドモンド・ヒラリーはこの年の7月にイギリス王室から騎士叙勲を受けて、ニュージーランドの5ドル紙幣の肖像画にもなったということだ。
現在でも、エベレスト登山の難所として知られる、頂上の南東に位置する尾根にある12メートルのほぼ垂直の壁のことを「ヒラリーステップ」と呼び、偉大な初登頂者であるエドモンド・ヒラリーの名を今に残している。このヒラリーステップは2015年のネパール大地震によって崩壊したとも伝えられている。
エベレストの標高は、諸説あるが、8,848mというのが一般的である。測量法の違いや地殻変動などによっても多少誤差が生じているが、いずれにしても標高8,800mを超える世界というのはどのようなものなのか、想像することもできない。
人間の生存を拒む極限の地ともいえるが、多くの登山者たちが低酸素と凍傷と闘いながらもその頂を目指している。天候や体調の変化によって、ほんの2時間程度でも頂上付近で足止めされれば、命の危険さえ伴うのだが。
1922年から2006年までの間で10,094人がエベレストに挑んだ。そのうち死者は207人。エドモンド・ヒラリーの前にも何人もの登山者が登頂を試みたが、叶わなかったという。
近年、1990年から2006年までの間だけでみてみると、7,929人がエベレストの登頂を目指した。そのうち86名が死亡している。
つまり近年になってから、特に2000年以降にエベレスト登山者が増加しているが、登山道具や天気予報の精度、さまざまな知識の蓄積などによって死亡率は減少しているという。
日本でも何人もの登山家がエベレスト登頂に成功している。2008年5月26日には、三浦雄一郎さんが75歳でエベレスト登頂に成功し、エベレストの最高齢登山記録に認定されている。
(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
最近、日本国内でも登山を楽しむ人が増えており、登山愛好家は500万人以上と推定され、そのうち中高年の登山者の割合は65%以上にものぼるといわれている。
しかし、中高年登山者の経験や知識不足、無理な登山計画、装備不足、体力不足などによる遭難事故が多発し、問題になっている。
エベレストでなくとも、またグリーンシーズンであっても登山には綿密な計画に裏付けられた、自分にあったレベルからの知識や経験の蓄積が必要不可欠だ。
安全に、無理なく、自分に合った登山を楽しんで欲しい。
極限の地で培った技術が日本の住宅に使われる
標高8000mの山は人類の生存を阻む極限の地だが、厳しさでいえば、それに勝るとも劣らないのが南極だろう。冬には氷点下60度に達し、風速80メートルのブリザードが吹き荒れる地は死の大地と呼ぶにふさわしい。しかし、この極地に到達したのはエベレストより先の1911年だ。ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンが率いる部隊が人類ではじめて南極点に到達したのだ。
アムンセン隊以降も南極探検は進み、1956年からは日本からも越冬隊が毎年おくられている。1968年からは住宅メーカーのミサワホームからも隊員が派遣されていて、「南極の家」といえる居住棟や、研究棟を作り続けている。
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極地で培った断熱技術や組み立て技法などは、日本国内での住宅建築にも生かされている。