(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
ラブレターのことを日本語では恋文とも言う。そのため、5(こい)2(ぶ)3(み)という語呂合わせから、5月23日が「ラブレターの日」になった。
それから、浅田次郎原作の映画『ラブ・レター』が1998年5月23日に公開初日であったことも『ラブレターの日』と呼ばれるようになった、もうひとつの理由だ。
浅田次郎氏の『ラブ・レター』は、第117回直木賞を受賞した『鉄道員』の中の短編小説だ。
主人公・吾郎は、独り都会の片隅で暮らすさえない中年男だ。ある日、妻が死んだことを知らされる。何のことかわからなかった吾郎だが、やがて数年前に裏家業の男に頼まれ、「戸籍」を貸していたことを思い出す。死んだ妻とは、吾郎の戸籍を使い偽装結婚した中国人女性だったのだ。
表題のラブ・レターは女から吾郎へ宛てられたものだ。会ったこともない吾郎に向けて、吾郎のおかげで日本で働くことができる感謝が綴られている。
手紙を読むうちに吾郎の中に湧き上がってくる、やるせなくも震えるような熱い想いと、そして数奇な運命をたどる中国人女性・白蘭の、切なくも純粋な想いが交錯する作品だ。
実は、我が国でラブレターが文学にまで高まるのは歴史が古い。なかでも、平安時代、数多くの恋文が読まれた。
平安時代には恋文は貴族文化の象徴ともいうべき存在で、多くの名歌がこの世に誕生したのだ。百人一首などでも馴染みがある短歌だ。恋い焦がれ、時に切なく、時に幸せな想いを綴った言葉の数々は、現代においても決して色褪せることはない。
また、平安時代に貴族女性たちが、恋文によってひらがなを流行らせたという説がある。ひらがなは手紙を書くために誕生したといわれているのだ。
これについては、もちろん諸説あるが、平安の時代から相手に対する想いを伝えたいという気持ちに変わりはないのだと、約1,000年もの悠久の時に、想いを馳せるのも良いだろう。
平安時代にはプロポーズを和歌で伝えることも少なくなかった。平安初期に成立した伊勢物語にはこのようなやりとりがある。
「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に」
昔、筒井で背比べをした私の背丈は、今ではすっかり筒井を越しました。あなたに会わないうちに、すっかり私は成長したんです。こんなにも長い間あなたに、会えないのはさみしいと、男は幼なじみの女に伝えているのだ。
そして、女の和歌を返す。
「比べこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」
小さな頃に、あなたと髪の長さを比べて遊んでいました。その髪も、今では肩よりも長くなりました。誰かに結ってもらいたいのですが、あなた以外の人は考えられません。と、女は帰すのだ。
少し、まどろっこしいが、当時、髪を結うほど親密な関係は結婚することを指した。
このようなロマンティックなやりとりもあったのだろう。源氏物語を始めとして、情熱的な恋愛をテーマにした平安文学は、今も人気があり、小説や漫画の題材としても使われている。SNSなどを通じて、世界的にも人気があるようだ。
(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
平安時代の家は不衛生極まりなかった
しかし、ロマンティックな幻想とは裏腹に、平安京の暮らしはバラ色とは言いがたいものだったようだ。
当時の平安京にはトイレやそれに伴う下水道の設備が弱く、町中の一角には糞尿が捨てられ、すさまじい匂いをさせていたという。
さらに水が大量に必要で、沸かすのに大量の燃料をつかうため現代のような風呂はなく、蒸し風呂やスチームサウナのようなもので、汗を流していたという。
さて、和歌でラブレターをやりとりするような奥ゆかしさは現代日本にはない。LINEやSNSなどが普及した結果、コミュニケーションのあり方は変質し、丁寧に言葉を紡げるような知性を持つ人は少なくなった。
しかし、その分だけ、生活環境が便利で快適になったことは間違いない。