芭蕉が「奥の細道」に旅立ったときに住んでいた、採茶庵跡 (画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
5月16日は「旅の日」である。
これは、松尾芭蕉が著作「奥の細道」のために旅立った日である元禄2年3月27日、新暦でいうところの1689年5月16日に制定された。
松尾芭蕉は、日本各地を旅して俳句を詠み、俳諧に高い文芸性をあたえた江戸時代前期の俳人だ。松尾芭蕉が生まれたのは、1644年、伊賀藩の下級武士の家(現在の三重県伊賀市)だった。本名は松尾宗房。若くして父を亡くした後、侍大将の藤堂新七郎家に仕えながら、俳諧の道に入る。10年ほど伊賀の俳壇で地位を築いた芭蕉は、その後29歳で江戸へ下った。
松尾芭蕉ははじめ江戸の中心に住居を構え、江戸の俳人たちと交流を持った。神田上水の修理工事にも携わりながら、その優れた資質で江戸の俳壇でも地位を確立していった。1680年に深川に住居を移すと、世相を遠ざけ創作活動に没頭する。その際、弟子が草庵の庭にバショウを一株植えたことがきっかけで、「芭蕉庵」と呼ばれるようになった。「松尾芭蕉」という俳号はそこから生まれたという。芭蕉庵はのちに火事で燃えるも、別の土地に再建された。
深川にある芭蕉俳句の散歩道 (画像=リビンマガジンBiz Biz編集部撮影)
芭蕉が旅に生き始めたのは、1684年の「野ざらし紀行」からだ。前年、母が他界したことがきっかけで、墓参りを目的とした旅に出たという。門人である千里とともに江戸を出発し、東海道から伊賀に赴き、自身の精神や自然と向き合いながら芸術性の高い俳句を詠んでいく。その後「更科紀行」を経て、46歳の時に出発した「奥の細道」の旅では、それまで行ったことのなかった未知の国々を巡る。そこで名所や旧跡、かつての歌人の歌枕を辿りながら、多くの名句を残していったのだ。
「奥の細道」の総移動距離は約2,400km、7カ月にも渡る長期の旅行だった。当時は治安が悪い地域も数多くあり、命がけの旅だったといわれている。
現代社会では、旅にそこまでの時間を割くことは難しい。しかし、「旅の日」を機にいつもと違う場所へ出かけ、自分自身とじっくり向き合う時間も持ちたいものだ。
(敬称略)