10月2日はデザイナー「ダナ・キャランの生まれた日」である。
ラルフ・ローレンやカルバン・クラインに並び、現代アメリカ3大デザイナーの1人に数えられるダナ・キャランは1948年の本日、生まれた。
キャランは、高校卒業後、デザイン学校に入るが、中退。ファッションデザイナーであるアン・クラインを師と仰ぎ、その元で働き始める。
アン・クラインの死後、ブランドのヘッドデザイナーに抜擢され、ファッション業界のアカデミー賞と呼ばれるコティ賞を2度も受賞する。
1985年には、夫とともに独立し、ダナ・キャラン・ニューヨークを設立する。設立の際には、日本の繊維商社の出資を受けたことでも知られている。
ダナ・キャラン・ニューヨークは、キャリアウーマンをターゲットにしていた。80年代のアメリカでは、女性の労働率が上昇していた。自身も同じ働く女性として、美しさと着心地のバランスを追求した機能的なファッションを提案し、爆発的な人気を誇ったのだ。
ファッションデザイナーにはアイデアの源泉を、ストリートや古い本の中にもとめる者が多い。ポール・スミスは世界中を旅して、現地の民族衣装あるいは働く人々の服装をスケッチして回るという。
イブ・サンローランは凄まじい量の古書を購入し、古い時代の資料をもとにアイデアを練っていた。その一方でキャランのインスピレーションは家の中にある。自宅のクローゼットを眺め、足りないと感じたものを、次の商品としてデザインしていったという。彼女ならではのアイデアの生み方といえるだろう。
彼女が発表する機能的でありながらもセクシーなスタイルは「ダナ・キャランはファッションの歴史を作った」と称賛された。
90年代に入ると、それまでの方向性を一転させる。娘に相応しい服をとして、DKNYを立ち上げる。その後も、動きやすいジーンズが欲しかったため「DKNYジーンズ」を、夫のために「DKNYメンズウェアー」を、さらに、娘のボーイフレンドのために「DKNYメン」などを続々と立ち上げていく。
それまで、女性に特化したファッションを提供していたキャランだが、自身のライフスタイルに必要不可欠となっていた「家族」をテーマに、「自分と家族のための服」コンセプトとした。
キャランは、デザインについて、こう語っている。「デザインとは常に探求の旅であり、柔軟な精神で変化しなければならない。今を生きる私たちは絶えず、全身、成長しているから」働く女性から、妻、母親へと生活が変化することに対して、彼女は自覚的だった。
その変化を受け入れ、全てをファッションに昇華させていった彼女の生き方も新しい時代の女性を体現しているのかもしれない。
敬称略