9月30日は作家「石原慎太郎と五木寛之の生まれた日」だ。
作家として数々の賞をさらった両者は1932年の本日、生まれた。
芥川賞、直木賞を受賞するなど、華々しい成功を収めている2人だが、歩んだ道のりは、あまりにかけ離れている。
石原は、一橋大学在学中に、デビュー作である『太陽の季節』が芥川賞を受賞する。
逗子出身ということもあり、ヨットをこよなく愛し、大学では、サッカー部に入るなど体育会系の一面を持っていた。
一方、五木寛之は早稲田大学に入学する。
しかし、住み込みのアルバイトと売血(!)で学費を稼ぐが、結局は工面できず、大学を抹籍されてしまう。
学生時代は、同人誌に参加し、小説を掲載していたという。
石原が芥川賞を受賞した『太陽の季節』が映画化されると、自堕落な生活を送る若者のことを「太陽族」と呼ぶようになる。さらに、スポーツ刈りに前髪を長めに残す、石原の髪型は「慎太郎カット」と呼ばれ、当時の若者のファッションアイコンになっていた。
五木は、時代の潮流に逆らって進むかのように、髪を長く伸ばしたスタイルだった。
さらに、髪を洗わないことで有名だ。東南アジアを歩き回っていた経験によるもので、現地の人を見ると、髪を全く洗っていなかったが、髪が薄い人はいなかったという。
石原は芥川賞を受賞後、様々な著書を発表し、芥川賞の選考委員を務めるまでになる。
五木といえば、大学抹籍後、業界紙の編集を務め、知人の紹介で作詞の仕事を始める。
さらに、テレビ番組の作家になるなど、様々な職に就く。その傍ら執筆活動は怠らなかった。
そして、1966年に『さらばモスクワ愚連隊』で新人賞を受賞する。
翌年、『蒼ざめた馬を見よ』で、直木賞を受賞する。
生年月日が同じであっても、文学賞受賞までの過程は全く違った。
ここで、2人の現在の自宅を見てみる。
石原慎太郎は、長年親しんだ逗子の自宅を売り払い、現在は田園調布に住んでいるという。
田園調布といえば、多くの芸能人や実業家が住む、言わずと知れた高級住宅街だ。
五木は1970年から横浜に移り、現在も居を構える。
五木は一軒家ではなく、マンション住まいだという。
さらに、タワーマンションなどではなく、中規模のごく一般的な分譲マンションらしい。
自身の華々しい功績に驕ることなく、つつましい生活を送っているのだろうか。
同じ生年月日で、同じ文筆家の道に進んだ2人だが、人生を辿ってみると、ここまでの大きな違いがあった。
しかし、2人の文学に対する気持ちは同じであろう。
現在でも、精力的な執筆活動を行っている。
敬称略