9月27日は「横浜米軍機墜落事件が発生した日」である。
住民3名が死亡し、6名の負傷者を出した大惨事は1977年の本日、起こった。
9月27日の13時過ぎ、横浜市緑区(現・青葉区)の住宅地に重さ約26トンの米軍機が墜落した。
厚木海軍基地を離陸し、太平洋上にある空母に向かおうとしたアメリカ軍の航空機が、離陸直後にエンジン火災を起こしたのだ。
乗員2名は、異変に気付き、直ちにパラシュートで緊急脱出を図った。
しかし、制御を失った無人の機体が緑区荏田町(現・青葉区荏田北)に墜落する。
墜落した機体と同機種の戦闘機 (画像=flying leathernecks)
機体は炎上し、上空でバラバラになったエンジン部分が民家を直撃する。
噴き出した燃料が辺りに広がり、半径150メートルを燃やし尽くした。
エンジンが直撃した家からは、住民が衣服が焼け落ちた姿で、2人の子どもを抱えて飛び出してきた。
4人とも、全身が重度のやけど状態で、子ども2人に至っては、やけどが対表面積の100%に達していたという。
自衛隊が出動したが、真っ先にパイロットの救出にあたり、事故現場には消防車が来ているのを確認しただけで、救助には向かわなかった。
駆け付けた、アメリカ軍関係者も、墜落した機体とエンジンを回収するだけだった。
被害に遭った子ども2人は次の日、息を引き取った。
母親は、治療のために、薬品の風呂につかるなど、想像を絶する苦痛に耐えたとされる。
しかし、子ども2人を失った精神的なダメージが計り知れず、心因性の呼吸困難によって、事故から4年後、亡くなった。
自宅にいながらにして、このような悲惨な目に遭うとは、誰が想像できただろうか。
この事故以来、米軍基地の危険性が指摘されるようになる。
アメリカ軍基地は全国に134か所に及ぶ。その多くは沖縄県に属する。
決して忘れてはいけない事件だ。