9月24日は建築家「芦原義信が亡くなった日」である。
建築家として、ソニービルや東京芸術劇場などを手掛けた芦原は、2003年の本日、亡くなった。85歳だった。
芦原は、博士学位論文の題名が「建築の外部空間に関する研究」だったように、いち早く都市景観や公共空間としての街並みの重要性を説き、こだわり続けた人物である。
芦原の著書『街並みの美学』(岩波書店、1979年)には、こう記されている。
「戦後は都市の経済的発展のみが目標で、ヨーロッパの都市のように、町の中心に広場をつくったり、彫刻を設置したり、軒線をそろえるというアイディアは皆無であった。自分の土地に自分だけの考え方で建築をつくるということが主体で、まち全体の美学という考え方には、ほど遠い現状であった。」
日本では、戦後の住宅不足の影響から、質より量を重要視していた。とにかく、住む場所を確保することが最優先事項であって、その他は二の次だったのだ。日本の建物は、内部や外観を重視して作られる。建築家も「何を作りたいか」という思いに執着し、その建物が及ぼす外部への影響について考えることがなかったのだ。無秩序に建てられた住宅や高層ビル群は、芦原にとって苦痛でしかなかったという。
この芦原の街並みへの思いは徐々に広がりつつある。都市計画法に美観地区(現在・景観地区)と呼ばれる制度がある。市街地の景観を維持するための制度であり、建物の配置や建築制限、屋外広告を規制することができる。
京都市や岡山県・倉敷市が典型的な例だろう。京都市では、建物の高さ制限はもちろん、建物の色やデザインにまで規制が及んでいる。しかし、この制度に指定されているのは、京都・倉敷を含め、全国で6都市のみである。日本全体では、まだごくわずかな動きと言っていい。
街並みを重要視することは、建物にその街のデザインの一部という役割を持たせることになる。芦原が生涯かけて追い求めた街並みの“美”は、まだまだ発展途上だ。
敬称略