9月14日はモナコ公国王妃「グレース・ケリーが亡くなった日」だ。
1982年の本日、不慮の交通事故で亡くなった。52歳だった。
ハリウッド女優として、クール・ビューティーで名を馳せたグレース・ケリーは、26歳でオスカーを獲得し、将来を嘱望されていた。
そんな全盛期に、モナコ公国の君主であるレーニエ3世と恋に落ち、公妃になるため女優業を引退する。
グレースには、公妃として幸せな結婚生活が待っているかと思いきや、レーニエ3世の公務は多忙を極め、すれ違いの日々だったという。
ある日、映画監督のヒッチコックから映画出演のオファーが届く。
公妃としての生活と、映画出演の間でグレースの心は揺れ動いたとされる。
そんな中、グレースがハリウッドに出戻りという、報道が出たという。国民からは批判が殺到し、グレースは次第に宮殿に引きこもるようになった。しかし、誠実さと粘り強さで、自らの人生を切り拓いていく。自身の名を冠した文化基金を設立し、モナコの文化・芸術の発展に貢献する。次第に国民もグレースに心を開いていくようになったとされる。
グレース・ケリーが暮らしていた宮殿は、旧市街の小高い丘の上にある要塞の跡地に建てられている。
ルネサンス様式で贅の限りを尽くした建造物である。室内はシャンデリアや装飾品で飾られ、1階は美術館として一般公開され、公家の持つ美術品が展示されている。
グレースは日本文化を愛好していたことでも知られ、特に華道や日本庭園が好きだったという。好きが高じて、モナコでの日本庭園造営を熱望していた。
しかし、夢がかなう前に、グレースは悲劇に遭う。
1982年9月13日、自身の運転で別荘がある南フランスからモナコへ帰る途中、突然の脳梗塞を発症する。自動車はガードレールに激突し、崖から40メートルほど落下、大破する。事故後、グレースは意識が回復しないまま、翌日の14日に死亡する。
葬儀では、国民全員が悲しみに暮れた。
その後、夫であるレーニエ3世は、グレースのかねてからの希望であった日本庭園をモナコに作る。フランス語で「グレースの庭」という意味の名を冠し、今でも多くの観光客が来園する名所になっている。
敬称略