9月4日は建築家「丹下健三の生まれた日」だ。
日本を代表する建築家・丹下健三は1913年の本日生まれた。
丹下健三の横顔 (画像=Photos For Class)
大阪府堺市に生まれた丹下は、図書館で見たル・コルビジェの記事に感銘を受け、建築家の道を志す。
長じて東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学し、建築について勉強をする。
卒業後、ル・コルビジェに師事していた前川國男建築設計事務所に入所する。
戦後から高度経済成長期にかけて、広島平和記念資料館や東京都庁など大規模な国家プロジェクトのほとんどを手掛けた。
丹下は、自宅のデザインもしている。
戦後に建てられた自邸は、一見、あまりにも古典的で近代的な建築家が建てたとは思えない。
しかし、1階部分はピロティで、丸々、吹き抜けになっている。
和風と洋風を織り交ぜた斬新なデザインである。
欧米のモノマネではなく、日本オリジナルの建築を目指した丹下の思想がにじみ出ている。
代々木競技場 (画像=ラブフリーフォト)
世界に丹下の名を知らしめるきっかけとなったのは、1964年に開催された東京オリンピックだ。
当時、大蔵大臣であった田中角栄直々にオリンピックのランドマークとなる代々木競技場の設計を依頼されたのだ。
しかし、すぐには進まなかった。
会場の用地確保が遅れてしまい。取り掛かることが出来なかった。
また、丹下がデザインした、柱のない吊り屋根構造の建築費がかさみ、当初の予算を大幅に上回ってしまう。
丹下は、田中角栄に直談判し、用地確保と予算アップを了承させたという。
そして、完成した国立代々木競技場は、美しいカーブと螺旋を描き、世界に負けない日本の建築力を示した。
来る、2020年東京オリンピックのメインアリーナとなる新国立競技場も建設計画で数多くの問題があった。
火中の栗を拾う形で、新国立競技場のデザインを行うのが、建築家の隈研吾だ。
この隈が建築家を志したきっかけは、小学校時代に見た丹下健三デザインの代々木競技場だという。
丹下と隈の両者は、東京オリンピックという運命で繋がっていたのかもしれない。
敬称略