8月9日は「黒柳徹子の誕生日」だ。
何百人もの著名人を“部屋”に招いている黒柳徹子は1933年の本日生まれた。
東京都港区乃木坂に生を受けた黒柳徹子、父親はヴァイオリニストの黒柳守綱、母親は声楽家の黒柳朝という音楽一家である。
(画像=リビンマガジン編集部撮影)
1953年、黒柳が20歳の時、日本のテレビ放送開始と共に、テレビ女優第一号としてNHKに入局する。
きっかけとなったのは、テレビ放送開始を翌年に控えた1952年に、アメリカのテレビ局プロデューサーの講演を聞いたことだ。
その中で、公共放送はニュースや教養番組が主になり、世界の風俗や習慣、戦争などの出来事を見ることができると知った。黒柳はそこで、永久的な平和をテレビは伝えられると感じたという。
この頃から、平和活動に関心を示していたことが分かる。
NHKでは、ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で一躍有名になり、紅白歌合戦の司会を務めるまでになった。
その後、マルチタレントとして活躍し、1976年、自身が43歳の時、テレビ朝日で冠番組の『徹子の部屋』がスタートする。今も40年以上続く長寿番組だ。
ちなみに、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録として、ギネス記録を現在も更新中である。
毎回、ゲストを招いて、資料を元にインタビュー形式でトークを進めていく。
番組1回目のゲストは俳優の森繁久彌である。
番組は、黒柳の自宅に招かれているという設定で、セットも黒柳のイメージに合わせて豪華な別荘のような仕上がりにしているという。
ゲストと黒柳の間に飾っている生け花は、その日のゲストのイメージに合わせて毎回変わっている。
さらに、セットのマイナーチェンジは何度も行われているが、そのことを「模様替え」と言うらしい。
この『徹子の部屋』ではない、本当の黒柳徹子の自宅について、噂程度では西麻布など都内数か所に自宅があると週刊誌などに書かれているが、真偽は定かではない。
これだけの、大御所タレントでありながら、自宅や別荘について話が出てこないのも珍しい。
『徹子の部屋』という大看板を背負って、番組を本当の部屋に見せかける魔法なのかもしれない。
敬称略