7月28日は「江戸川乱歩の命日・石榴忌」である。
1965年のこの日、「明智小五郎」シリーズ、「怪人二十面相」で知られる江戸川乱歩(本名:平井 太郎)は、くも膜下出血のため70歳でこの世を去った。
名称の石榴忌とは、乱歩の中編小説『石榴』にちなむ。
江戸川乱歩邸 応接間 (画像=リビンマガジン編集部撮影)
乱歩は、日本の推理小説のパイオニアとして活躍した。トリックなどにおいて、欧米の模作ではない独創性を発揮した。
しかし、あまりにも本格派だったため、デビュー当初は、大衆にはあまり好まれていなかった。
文学雑誌の『講談倶楽部』に長編「蜘蛛男」の連載を始めてから、大衆にも受け、ヒット作を連発するようになる。
「怪人二十面相」や「少年探偵団」シリーズなど児童向けの推理小説も広く愛された。
晩年は新人発掘を熱心に行い、大藪春彦や筒井康隆などを見出した。
乱歩は転居を繰り返しており、その数は東京内だけで26か所にも及ぶという。
終の棲家となったのは、豊島区池袋3丁目、書庫付きの借家だった。
当時の家賃は90円だったという。
書庫「幻影城」(画像=リビンマガジンBiz編集部撮影)
書庫は「幻影城」と呼ばれ、2万点以上の書籍・資料が今も保管されている。
よほど、書庫が気に入ったのか、引っ越しの虫もここで治まった。
1934年に引っ越し、亡くなる65年までの31年間をこの家で過ごしたのだ。
近くには立教大学があり、周りは梅林や畑など、まだ田舎だったこの土地を好んだというのだ。
乱歩邸の応接間には、乱歩が愛用していたデスクがあり、数々の名作が生み出された。
先述した、「怪人二十面相」や「少年探偵団」シリーズもここから生み出された。
乱歩邸は2002年に、立教大学に帰属し、書庫と共に一般公開されている。
江戸川乱歩の推理小説の世界に浸り、当時の雰囲気を感じれるだろう。
乱歩ファンの中では、居室より書庫を見たい人が多いという。
敬称略