7月27日は画家「ゴッホが拳銃で自殺を図った日」である。
「ひまわり」や「夜のカフェテラス」で知られる後期印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホが
1890年の今日、ピストルで自殺を図った。
生来不遇で、死してから絵が評価されたゴッホ。その生涯は挫折の連続だった。
他人とのコミュニケーションが苦手だったゴッホは、画商や本屋など数々の職を転々としていたという。
画家になってからも、絵が評価されることはなく、同世代の芸術家はスターダムにのし上がっていった。
フィンセント・ファン・ゴッホ (画像=GATAG)
さらに、奇抜な行動や精神的に病んでいた話も多い。
自分の耳たぶを切り落とし女性にプレゼントするといった奇行や何度も服毒自殺を試みて入退院を繰り返していたという。
ゴッホの拳銃自殺だが、左胸に銃創があり、心臓下部の肋骨に弾が残っていた。
医者に見せるが、取り出すことが不可能と考えられ、自宅安静を言い渡される。
その後、2日後の29日に失血死で亡くなる。
この、自殺も様々な憶測があり、他殺だという噂もある。
当時の拳銃は、火薬の燃えカスが飛び散り危険なものだったのだ。
しかし、ゴッホの手にやけどや火薬の跡が残っていなかったという。
『ファンゴッホの寝室』 (画像=GATAG)
ゴッホの作品は住宅が描かれているものが多い。
例えば、寝室を描いた『ファンゴッホの寝室』である。
この絵の中にある、机やイス、ベッドは縁取りされ、影を残している。
これは、当時の西洋絵画にはあまりなかった手法で、ゴッホが日本画を意識して描いたとの手記が残っている。
この寝室の横には共同生活していたゴーギャンの部屋と繋がっている。
この家を外から描いたのが『黄色い家』という作品だ。
フランスのアルルにあるラマルティーヌ広場にあった家だ。
2F建ての住宅で、1Fにはアトリエと台所があり、2Fには両者の部屋がある。シンプルなつくりだ。
残念ながら、1944年に戦災で破壊されてしまったが、当時の風景は残っており、観光名所になっている。
『黄色い家』 (画像=GATAG)
37歳という若さで亡くなったゴッホ。
精神の病に悩まされていたが、彼の作品は、感情が素直に描かれ、色使いも大胆だ。
彼の作品での表現や色使いは、不遇な人生を創造させないほど繊細に描かれている。
先述した2つの作品も同様だ。