7月16日は、J・D・サリンジャーによる長編小説「『ライ麦畑でつかまえて』が出版された日」である。

青春小説の名作は、1951年の今日、発刊された。

全世界で読まれ、語り継がれる不朽の名作である。


世界中で未だ読まれ続ける不朽の名作 (画像=PEXELS)

物語はトラブルなどで高校を何度も退学している問題児ホールデン・コールフィールドが主人公。学校を退学になり、ニューヨークにたどり着いたホールデンが、社会や大人のインチキに怒りながら、夢や希望をその眼に映し出していくという内容だ。

作品発表時には、賛否両論を巻き起こした。社会の規範や常識の陰にある矛盾やごまかしに鋭く毒づく主人公像が保守層を中心に、激しい非難を受けたのだ。一方で、若者からは圧倒的な支持を受けた。

やがて賞賛の声が高まり、全世界で翻訳されている。これまで6000万部以上発行されており、現在でも毎年50万部以上が売れ続けているといわれている。

しかし、この成功が作者サリンジャーにもたらしたのは名声だけでは無かった。その他の作品も含め、時の人となったサリンジャーからは、静かな創作活動は奪われていった。

発表作品に対する賛否両論の騒動から逃れるために、ニューヨークからニューハンプシャー州のコーニッシュに引っ越したのは『ライ麦畑でつかまえて』を発表した2年後の1953年だ。

コーニッシュは、人口1700人ほどの小さな町だ。

サリンジャーは、このコーニッシュに90エーカー、約11万坪もある白樺の木が生い茂った広大な丘陵地を購入した。

サリンジャーのコーニッシュでの生活は、関連した書物によって様々な記述がある。

「家屋の内部には暖房はおろか、水道もなく、近所の泉に水を汲みに出掛けなければいけなかった」や

「地元の高校生とのインタビューが地元紙に大きく掲載されてしまい、ファンが殺到したため、自宅周囲に2メートル以上の塀を建て、世間と隔絶した」などである。

「誰とも口をきかず、作家として沈黙を続けながら、実はすさまじい数の作品を書き続けており、『ライ麦畑』を超える傑作が眠っている」など、やがてサリンジャーは聖なる隠遁者として現代アメリカのファンタジーになっていった。

ただサリンジャー死後に明らかになりつつある、事実としてはサリンジャーの生活は隔離されたものではなかったと言われている。

郵便配達員には顔を合わせるたびに、挨拶を交わし、外食も行っていたという。

さらに、地域のボランティア活動にも精力的に参加していたという。

ボーイスカウトの隊長や地元教会のミサにも足繁く通っていた。

サリンジャーは2010年1月27日にコーニッシュの自宅で老衰のため亡くなった。伝説に包まれた91年の生涯だった。

敬称略

 
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