7月5日は「セコムの日」だ。

1999年から放送された「地球防衛企業 ダイ・ガード」というアニメがあった。

日本に出現した謎の物体「ヘテロダイン」に、民間の警備会社「21世紀警備保障」の社員である主人公・赤木がスーパーロボットの「ダイ・ガード」に乗り込み、日本の平和を守るという内容だ。

劇中の決めゼリフが「サラリーマンだって、平和を守れるんだ」である。

さながらセコムの歩みはこのセリフを実践してきたようである。

同社は日本初の警備保障会社であり、売上8000億を越える業界最大手の警備会社だ。


※写真はイメージです (画像=写真AC)

同社は、7月5日と6日を語呂合わせで「7(セ)」「5(コ)」「6(ム)」として「セコムの日」としている。

セコムの歴史は50年以上さかのぼる。

前身である「日本警備保障株式会社」を創業したのが、飯田亮と戸田寿一である。

起業しようとビジネスを探していた2人が、海外の友人から「欧米にはセキュリティ会社があり、警備という仕事がある」と聞き、日本には存在しなかった警備会社が生まれた。

1962年の7月7日に事業を開始させた。

しかし、そのスタートは順風満帆ではなかった。当時、警備を外部に委託するという考えが日本にはなく、どこからも相手にされなかった。

2人で各家庭に飛び込み営業をしたという。

転機となったのは、1964年の東京オリンピックだ。

警備を受注するまでには大変な苦労があった。

東京オリンピックの組織委員会の担当者が日本に警備専門の会社があると耳にしたことから、まれにみるシンデレラストーリーは始まる。相談を受けたセコムは粘り強い交渉で、選手村工事現場の警備を受託したのだ。猪瀬直樹著『民警』(扶桑社)に詳しい。

オリンピックの警備を行ったという箔がつき、高い信頼と評価を得た。翌年にはドラマ「ザ・ガードマン」の放映が始まり、警備会社に対する認知度は急激に上昇。同社には注文が殺到したという。

この時、成功のきっかけを作ってくれた組織委員会の担当者は後に綜合警備保障(ALSOK)を立ち上げる村井順だったことを付記しておく。

その後、1973年に自社警備ブランドを「セキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)」を略した「セコム」としてアピール。1983年には、社名も「セコム」に変更する。

今となっては、ビルや住宅に当たり前に付いている民間の警備。

たった2人の青年が世の中の常識を変えてしまったのだった。

敬称略

 
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