6月20日は東北・上越新幹線の東京駅への乗り入れが始まった日だ。
1991年のこの日、当方区新幹線の上野~東京駅間が開業し、東北との始終点が東京駅へと変更になった。これによって、長きにわたって「北への玄関口」を勤めた上野駅の立場にも変化が訪れた。
上野駅 (画像=ぱくたそ より)
NHKで現在放送中の朝の連続テレビ小説「ひよっこ」茨城北部出身の主人公は、高校卒業とともに上京し、都内のラジオ工場に勤めることとなる。家族と故郷に別れを告げて降り立ったのが上野駅だ。
ドラマで描かれるのは1964年の東京五輪前後。まさに、このころから10年を前後して集団就職として農村部を中心に、若い労働力が東京など大都市へと集められたのだ。
1954年には、国鉄(当時)が4月だけの臨時便として集団就職列車を運行開始。列車が着く時間帯になると、上野駅のホームには歓迎の旗を掲げた企業側の担当者でいっぱいになった。
彼らの多くは職場近くに用意された寮に住んだ。幼くして親元を離れてからの都会での暮らしは心細いもので、同じ境遇の若者が集まってのサークルが結成された。
何年か働いていくうちに東京での生活に慣れ、一人暮らしをするものも出てくるが、東北出身者は、上野駅から北を好む人が多かったという証言もある。少しでも故郷の近くに、という気持ちの表れだったのかもしれない。
高度経済成長を支えた集団就職だが、1974年のオイルショックによる不況を受け、新卒採用を控える企業が続出。また高等教育への進学率も高まり集団就職は一挙に減ることとなる。1975年には需要がなくなった集団就職列車は廃止された。
以降も、上野の北の玄関口としての地位は変わらなかったが、高速バスの普及など交通手段の多様化などで徐々に存在感は薄まっていく。
そして1991年のこの日、東北新幹線が東京駅までの乗り入れを始めたことで、鉄道においても実質的に途中駅に変わっていった。