6月19日は、文豪「太宰治の生まれた日であり、命日の桜桃忌」です。

1909年(明治42)の今日、青森県北津軽郡に生を受けた。地域でも指折りの大地主の裕福な家だった。


太宰治のイラスト


美しい文体で綴られた陰りのある小説と、破滅的な生涯で知られる太宰。彼の作品には家制度に縛られた人々の悲哀があり、住宅が象徴的に描かれる。

新しい時代の変化を、没落する貴族の家族それぞれに重ねた代表作「斜陽」にも顕著だ。

家長である父を失った一家は、東京西片町(現在の文京区)を引き払い、伊豆の山荘に引っ越す。

屋敷から小ぶりな家に移っても、なお世間離れした言動を繰り返す母。小説冒頭のスープを飲む仕草が有名で、か弱くも気高い貴族然としたたたずまいに時代の変化に取り残される旧人の精神が反映される。

そもそも屋敷の維持費に困り引っ越しを提案されたら、紹介された物件を見もせずに決断してしまうのだ。いかに人を疑うことをしないのだろう!


太宰治の生家 「斜陽館」

この作品は実家が豪商だった、太宰自身の経験や状況が反映されているといわれる。太宰の生家は後に記念館となり、斜陽館として多くのファンを集めている。

太宰治は多くのファンがいる。芥川賞作家の又吉直樹もその一人だ。彼は、太宰治が好きすぎて若かりし頃住んでいた吉祥寺に住み始めた。

又吉は当時お金がなく貧乏だったので、古いボロアパートに住み始めた。そこで、太宰の足跡を辿っていると、あることに気づいた。

なんと自分が今住んでいるボロアパート、さらに、その部屋に太宰が住んでいたというのだ。又吉は改めて太宰との運命を感じたという。

幼少期の太宰治は、芥川龍之介から大きな影響を受けたという。少年時代の太宰のノートには落書きのように芥川龍之介への思いと名前を乱雑に記している。太宰治ファンの又吉直樹が芥川賞を受賞する。何か深い縁を感じているのは、私だけだろうか?深いつながりを持つもの同志は惹かれあう運命なのか?又吉直樹著「劇場」発売中です。

敬称略

 
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