6月13日はプロレスラー「三沢光晴の命日」である。
2009年の今日、試合中の事故により旅立った。「三沢が死んだ…?」と、第一報を受けたプロレスファンは誰もがそう呟いて、言葉を失った。46歳で突然に訪れた10カウントだった。
三沢の死を一面にもってきたスポーツ新聞 (画像=リビンマガジン編集部撮影)
2代目タイガーマスク、全日のエース、NOAHの創始者。
団体の垣根を越えた存在だった。
2代目タイガーマスクとして脚光を浴び、マスクを脱いでからはヘビー級戦線でジャンボ鶴田や外国人レスラー達に挑み続けた。全日本プロレスのエースとして不動の地位を築いてからは、四天王プロレスの中心として名勝負を作り続けた。
巨漢レスラーの象徴だったベイダーの腕を破壊した試合。
プロレス史上でも最も危険な技とされる、川田利明の垂直落下式パワーボムを受けた試合。
そして毎年のようにプロレス雑誌のベストバウトをかっさらった、小橋健太との壮絶な試合。
タイガースープレックス、タイガードライバー、エルボー、そしてエメラルド・フロウジョン。多彩かつ破壊力ある技の数々は今も語り草だ。
不動産業界とも関係があった
スポンサーとしてNOAH(プロレスリング・ノア)を、10年以上サポートしているのが不動産仲介会社のザ・リーブだ。
テレビCMにも三沢を含めたノアの所属選手を起用し、今も継続中だ。
三沢が死去してからも、本人が出演したCMが流れ続けた。三沢の死を受け入れられない、ファンの心を象徴するようだった。
三沢が死んでからのプロレス界は、三沢のリング死とその後に空白について意味を見いだせないでいるように思う。自分だけで無く相手をも輝かせる三沢の存在感は簡単に埋まる空白では無い。そして、三沢とは…と簡単に定義することを許さないレスラーだったのではないか。
あれから8年が経つ。