6月8日は東京営団地下鉄(現・東京メトロ)「有楽町線が開通した日」である。
有楽町線は1988年(昭和)に開通の、埼玉県の和光市駅から東京都江東区の新木場駅を結ぶ路線だ。開通により、東京都心から月島や豊洲といった湾岸エリアへのアクセスが容易になった。
有楽町線 (画像=リビンマガジン編集部撮影)
現在の月島といえば、もんじゃ焼きが有名だが、全国的な知名度になったのは有楽町線が開通してからのこと。
有楽町線開通前の月島は都心からの交通手段が少なく、東京の中でもまだ古い街並みを多く残した地域だった。そこに地下鉄開業を見越した再開発計画が多数持ち上がった。
「このままでは月島もマンションが多く建つ、ありふれた街に変わってしまう」
地元住民の危機感から街作り計画が立てられ、そこで柱にすえられたのが「もんじゃ」だった。
もともと、もんじゃ焼きは昭和40年代後半までは、下町の駄菓子屋で食べられる子どものおやつ、という認識だった。しかし昭和50年代に入ってから、大人向けの味付けを施したもんじゃ屋が増えていた。各店が競争する中で、味付けやトッピングなどが工夫され、今のもんじゃ焼きが完成したという。そこに目をつけたのだ。
切妻型のアーケード設置などインフラ面も整備し、店舗数も増えていった。その後、雑誌やTVで取り上げられるようになり、有楽町線に乗って多くの人がもんじゃ焼きを食べに来るようになった。こうして「月島=もんじゃの街」が定着したのだ。
月島もんじゃストリート (画像=リビンマガジンBiz編集部撮影)
今では、日本全国どころか海外からの観光客も、もんじゃ焼きを目指して月島を訪れることになった。子どものおやつは、重要な観光資源へと変貌を遂げた。
交通網の発達は、街のイメージを変えるためのきっかけになることがある。その波にうまくのれば、世界各国から観光客を呼び込むことも出来る。月島の成功は教えてくれる。