横浜港は安政6年(1859年)の6月2日に開港した。
安政6年といえば、吉田松陰が斬首刑に処された、世にいう「安政の大獄」の年である。
この年、日米通商修好条約が結ばれ、アメリカとの玄関口として横浜港が開かれた。
当時の横浜は江戸に比べて、へんぴな場所だった。そのため、外国人トラブルの取り締まりが容易な横浜が選ばれた。
開港後、外国の文化を多く取り入れ、横浜は急速に発展していく。
その影響で、横浜には「日本初」「〇〇発祥の地」と呼ばれるものが多い。
これもその一つ。
横浜は、日本初の「全鉄筋コンクリート造」のビルが誕生した地である。
鉄筋コンクリート造の先駆者として知られる遠藤於菟(おと)が設計した三井物産横浜ビル(現KN日本大通りビル)だ。
1911年に完成し、大正時代にできた鉄筋コンクリート造の建物では、現存する中では最も古い。
三井物産横浜ビル(現KN日本大通りビル) (写真=リビンマガジン編集部撮影)
構造だけでなく、デザインも注目された。
当時は文明開化が叫ばれ、建築物も西洋風の派手なものが多かった。
対して、三井物産横浜ビルは白を基調とした驚くほどシンプルでモダンな建物で、今では当たり前になっている平坦な造りのフラットルーフも珍しかった。
後に、近代オフィスビルの先駆的作品として評価されることになる。
1923年に起きた関東大震災では横浜一帯の建物が壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、このビルは全鉄筋コンクリート造であったので、倒壊を免れ地震に対する有効性を示した。
今も現役のオフィスビルとして利用されていることからも、このビルの凄さが感じられる。
横浜の地を歩くと、大正ロマンを今に伝える建造物が存在感を放っている。
ちなみに、今日6月2日は横浜市立の小中学校・高校は休校日になるという。
敬称略