毎週水曜日配信、「カジコンの不動産業界地獄耳」。
業界歴21年、不動産会社専門コンサルタント 梶本幸治さんが、不動産業界で見た・聞いた話を紹介します。
今回は、不動産売却の相談があった、一見仲の良い夫婦に関するお話です。(リビンマガジンBiz編集部)
不動産のチラシを見ていると「新婚さんにピッタリ」とか「初めてのマイホーム」といったコピーが踊っています。実際、結婚を機に新居を購入された方もいらっしゃるでしょう。
しかし、「マイホーム購入=幸せな家庭」と上手くいかないのが人生なのです。
私の知り合いであるFさんは、中古住宅を取り扱う不動産営業マンです。
ある日、Fさんが昼食を終えて食堂を出たとき、胸の携帯が鳴りました。電話の相手は、一週間前に不動産一括査定サイトからマンションの査定依頼があった田中さん(仮名)でした。田中さんは、具体的な提案が欲しいので、週末にでもマンションに来て欲しいとのことでした。Fさんは電話を握っていない左手で小さくガッツポーズをしました。
そして約束の週末がやってきました。
田中さんが住んでいるのは、築4年の築浅マンションです。Fさんは2階にある田中さんのお宅へ伺いました。部屋では、俳優の滝藤賢一さんを若くしたようなご主人と、池脇千鶴さん似の奥さん、そしてヨチヨチ歩きのお子さんが待っていました。奥さんは怪我でもされたのか、頬に大き目の絆創膏を貼っておられました。しかし、それでも美人にみえちゃうお顔立ちです。
Fさんが改めて名刺を渡しご挨拶した際、ご主人と奥さんが固く手を繋いでいることに気がつきました。その後も、ご主人は何度も奥さんに笑顔を向け、ときには人前にも関わらず、奥さんの頬に貼ってある絆創膏を軽くナデナデ。ちょっと変わっているけど、「仲の良いご夫婦だな」とFさんは感じたそうです。
そして、ご主人はニコニコ笑いながらこう告げました。
「結婚した時に新築でこのマンションを購入したんです。でもそれから私の両親と同居することが決まりまして、このマンションを売却することになりました。母と同居すれば妻の家事の負担も減って、良いことずくめです。一括査定サイトから依頼したところ、貴社が一番早くご連絡を下さったので、貴社に売却をお願いしたいと思っています」。
Fさんは、「素早く対応することはプロとして当然です。それにしても奥さんのご負担を気にかけられるとは、本当に素敵なご夫婦ですね」と返答しました。しかし、内心では「ラッキー。早く対応して良かった」と思いながら、心の中でガッツポーズ。おもむろに媒介契約書(不動産会社に販売を依頼する書面)を鞄から取り出すと、ご主人様の署名捺印を頂くことができました。
ただ、一連の流れの中で、奥さんが一言も声を発されなかったことには、少しひっかかったそうです。
翌日、ポータルサイト掲載用に室内の写真を撮る為、再び田中さん宅を訪れました。すると、ご主人は仕事のため不在で、奥さんが対応してくれました。Fさんは写真を撮りながら「奥様想いの素敵なご主人様ですね」と話しかけたそうですが、奥さんはうつむき加減で頬の絆創膏を指でなぞるだけ。しかし、その指にも絆創膏が張られています。
「あれ?昨日は指に絆創膏なんて貼ってあったかな」と思いながらFさんが「指、怪我されたのですか?」と軽く聞くと、奥さんは急に怯えたような目つきになり「なんでもないんです。気にしないでください!」と大きな声を出されたそうです。
販売活動を開始し、室内の内覧を希望される方が出てきたため、再度マンションを訪れ、奥さんにお目にかかったFさんは驚きました。目の周りにも口元にも腕にも、あらゆる所に青あざができているではありませんか。事情を尋ねるとポツリポツリと、話し始められた。
「主人の実家でお義父さん、お義母さんと同居するなんて全然聞いてなかったのです。私がパートに出て外の空気を吸いたいと言った途端、マンションを売ると言い出して・・・。それから、私が暗い顔をしていると『お前は俺の両親を愛せないのか!俺も愛していないのか!』といって暴力を振るうんです。主人にとって私は人形みたいなものですから、ずっと自宅に閉じ込めておきたいんでしょう」
その日の夜、ご主人様から電話が入り「妻が病気になったので妻の実家で養生することになりました、回復するまではマンションの販売は中止して欲しい」との申し出を受けたFさん。
その時のご主人様の声は、先日会った時と同じ明るい口調だったので、逆に恐ろしさを感じたそうです。