こんにちは。私は、ファイナンシャルプランナーの磯脇賢二です。
前回の続きです。住居や職の確保や人口流出は、復興を目指す石巻市雄勝町にとって死活問題になっております。そもそも、石巻市雄勝町は震災前の人口は約4300人。そのうちの3000名ほどが津波により被災し、家屋が流出しました。中心市街地である雄勝町雄勝地区にはおよそ630世帯が住んでいましたが、津波によって590世帯ほどの家屋が全壊流出し、死者も100名ほどに上りました。石巻市雄勝町の人口は1000人を切ったといわれています。また、震災によって町の中心部分をはじめ、多くの地域で居住禁止区域にしていされ、以前の住処にかえれなくなってしまいました。その結果、人がどんどん離れていきました。空き家が問題になっております。地元の雄勝町大須地区の人曰く、「100万円あればいい家が買える」といわれました。なぜ、こうなったのでしょうか。
簡単に大須地区の紹介をしますと、石巻市雄勝町にあります、雄勝半島の先端部にある部落でございます。その地区は、東日本大震災の震源地に非常に近い場所にあります。震災発生時非常に激しくかつ長い時間、揺れたと伺いました。
その後大津波が襲ったのは記憶に新しいと思います。この地区の家は、海岸沿いの場所に建てられた家は津波に流されましたが、大部分の住宅は高台の上にあり、かつ丈夫な岩盤の上に家があったので倒壊した家はあまりなかったと伺っております。しかし、津波により道路は冠水。崩落などの理由で各地で寸断され、孤立を余儀なくされました。漁師さんは、漁船や養殖いかだを失いました。震災発生時は、自衛隊の護衛艦が何隻も雄勝湾沖に停泊をして、そこからヘリコプターで救援物資を町の避難所に指定されていた小学校の校庭に運んでいたといわれています。
震災から復興は道半ばですが、皆さんはともに力を合わせ助け合い、この危機的状況を乗り越えてきました。
しかし、震災により、ある漁師さんは跡取りをなくした。今まで住んでいた地域が災害指定地域に指定され住むことができなくなった。震災復興(高台移転・復興住宅の建設)が思うように進まないなどの理由で、多くの人たちが雄勝町を去っていきました。
雄勝町の地場産業は、なんといっても雄勝硯と漁業です。雄勝の山と海が織りなす豊かな自然、雨が降って山に染み込み、湧き水となって川に流れ海にそそぎます。また海底からも伏流水が染み出す雄勝の海は豊富なミネラルを含む海となり、牡蠣・帆立・銀鮭・ホヤといった美味しい海の幸を育んでいます。地場産業の振興が思うに任せない中で若者の流出と住民の高齢化が進み、震災により雄勝町の過疎化進行が一気に進みました。宮城県や石巻市が懸命に政策取組しているにもかかわらず、残念ながらその勢いを押し止めることは難しいといえます。そうした折、雄勝町の方は、古民家を買い取り、リフォームをして簡易宿泊所にしようと取り組んでいます。またある団体は、廃校になった小学校(旧桑浜小学校)をボランティアの力を借りてリフォームをして、MORIUMIUSをつくりました。彼らのプログラムに地元漁師さんも積極的に協力しています。
雄勝町でも、経済環境や住民の価値観変化を背景に、従来とは異なる観点から地域再生に取組もうとする様々な動きが、出始めてきました。まだ目立った成果をみるまでには到っていませんが、地域の将来を拓く新たな方向として期待されています。
次のコラムでは、古民家を買い取り活動をしている団体を紹介します。