不動産コンサルタント・ニコニコ大家さんプロデューサーの
星 龍一朗です。
今回のテーマは、
「不動産マーケットの相場は循環する!」バブル崩壊から現在までを振り返る(その4)
です。
前回は、1990年代後半の不動産マーケットにおこった変化の兆し、
特に「住専処理問題」について、お伝えしました。
今回は、銀行の「不良債権処理」と「ハゲタカファンド」と、それ以降についてです。
バブルの”負の遺産”としての不良債権を外資が買う動きは、1997年位から始まりました。
銀行は、「不良債権」を処理するために、いわゆる「バルクセール」という形で、
安値で、売り払おうとしたのです。
もともと、回収の見込みが低い不良債権ですので、まさに、タタキ売りの状態です。
しかし、この不良債権の中で、不動産が担保となっているものが、極めて多くありました。
これらを買い漁ったのが、外資系の投資ファンド、いわゆる「ハゲタカファンド」だったのです。
この頃、1997~98年には、大手金融機関が連鎖的に経営破綻しました。
まず1997年11月、北海道拓殖銀行(たくぎん)が破綻しました。
そして、拓銀破綻のちょうど1週間後、今度は山一證券が自主廃業したのです。
山一といえば、野村・大和・日興と並ぶ「四大証券会社」の一つでした。。。
このような状況の中で、銀行の不良債権処理は、加速して行きます。
そして、安値で、不動産担保付きの不良債権を買い取ったハゲタカファンドは、
担保不動産を売却して、莫大な利益を上げるようになったのです。
このぐらいの時期から、外資系ハゲタカファンドが日本に、
不動産を「収益還元」で評価する方法や、
「デューデリジェンス」といって、不動産を
物理的側面・経済的側面・法的側面
などから細かく調査する「物件精査」の手法を
持ち込みました。
これが、のちに、日本の不動産金融商品化や、アセットマメジメント会社の隆盛、
そして、「不動産ファンド(ミニ)バブル」の発生に、
大きな影響を与えたと思います。
不良債権処理が進むのにつれて、日本の不動産マーケットにも動きが出て行くわけです。
そして、政府も不動産を流動化させるために、
不動産の証券化に関する法整備を進めました。
そして、日本版の不動産投資信託 いわゆるJ-REITが、2001年からスタートしました。
今回は、ここまでにして、
この続きは、次回、お伝えしますので、お楽しみに!
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。
星 龍一朗