不動産コンサルタント・ニコニコ大家さんプロデューサーの
星 龍一朗です。
今回のテーマは、
「不動産マーケットの相場は循環する!」
です。
不動産価格の相場というのは、数年を周期に上がったり、下がったりしているということです。
私が、不動産ビジネスの世界に足を踏み入れたのは、1990年4月でした。
実は、その前月の3月27日に、当時の大蔵省から「不動産融資総量規制」の通達が出されていました。
そうです、この通達こそが、「バブル崩壊の発火点」となったものです。
1980年代の後半、日本はバブル景気に沸いていました。
日本中の不動産が、みるみるうちに値上がりし、
転売が繰り返されていたのです。
そこには、収益性がどうかということは関係ありませんでした。
いわゆる「土地ころがし」といって、なにもしなくても、高値で転売が出来たのです。
金融機関の不動産融資残高もうなぎ登りになっていたわけです。
そこで、政府は地価高騰を抑えるために、「不動産融資総量規制」の通達を出したわけです。
この狙いは、異常な投機熱を冷やすため、土地取引に流れる融資の伸びを抑える狙いで、
・不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える(総量規制)
・不動産業、建設業、ノンバンク(住専含む)に対する融資の実態報告を求める(三業種規制)
という内容でした。
これにより、不動産にお金が回らなくなり、バブル崩壊の引き金になったと言われています。
ちなみに、映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』は、この総量規制がテーマになっていて、
なんとか、バブル崩壊を防ぐため、タイムマシーンを使って、総量規制の通達をやめさせようとする
内容で、見ていてとても、面白い内容でした。
さて、話を元に戻すと、私が、不動産ビジネスの世界に入った1990年4月というのは、
まさに、バブル崩壊が始まった時だったということです。
私が大学を出て、就職したのは、大手の不動産流通会社で、
「新築分譲マンション・戸建ての販売」事業と、
「中古住宅の売買仲介」事業の二つが、メイン事業でした。
ほかに、リゾート事業、海外事業、不動産運用事業なども手がけていましたが、
私が配属されたのは、「中古住宅の売買仲介」事業の本部部門だったわけです。
当時の私は、社長の「開発は有限、流通は無限」という言葉が、心に刺さっていました。
バブル崩壊への序曲が始まったばかりでしたから、最初は、
会社も非常に景気がよく、飲み代やタクシー代も会社持ちという時代でした。
それが、2年目、3年目となると、バブル崩壊の影響がどんどんと大きくなって行ったのです。
そして、入社4年目からは、売買仲介の現場(営業店舗)に出て、仲介営業をすることなりました。
ところが、不動産価格は、下がるといういった状況になっていました。
この続きは、次回、お伝えしますので、お楽しみに!
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。
星 龍一朗