(図=リビンマガジン編集部作成)

昨年から日本中で大ヒットを記録、今年は世界中にブームが広がりそうな「君の名は。」今やジブリだけではなく、多くの日本のアニメ作品が世界中の人々に愛されています。皆さんは、この世界的な日本アニメの人気に火をつけた作品をご存知でしょうか?

実は「ドラえもん」なのです。1982年に香港で初めて放送されて以来、アジアを中心に多くの国で愛され続けています。日本アニメ界における世界進出のパイオニアと言っても過言ではないでしょう。

 

猫型ロボットのドラえもんが居候している野比家ですが、収入はいくらなのでしょうか。

一家の大黒柱、野比のび助さんの年収を調べてみました。

 

なお、のび助さんのプロフィールは公式ホームページでは紹介されていないため、アニメの中からわかった情報やインターネットで調べた有力な情報で算出しております。細かいご意見等あるかもしれませんが、ご了承ください。

設定の確認

 

時代  長期連載の間に時代設定が数回変わっているため、今回は連載が始まった1969年(昭和44年)とします。

年齢  36歳(アニメでは41歳など諸説あるため資料を基に筆者が独断で仮定)

学歴  東京灯台大学院卒業(もしかしたら名門大学かも…)

職業  〇〇商事・課長代理(比較的小さな規模の商社のよう)

家族  妻:玉子(38歳 専業主婦)、長男:のび太(小学4年)

住所  練馬区月見台 庭付き2階建ての一戸建て 駐車場なし 間取り5DK

広さ  延床面積:約34坪(インターネットで公開されている間取り図から筆者計算)

 

ところが、調べていくうちに、予想外の事実が判明しました。野比家の住まいは、なんと貸家だったのです!!これではローンから年収を推測することができません。

 

よく「家賃は給料の3分の1以内に」と言われていますが、借主が「なんとか頑張って払います」「夫の給料が安くても妻も働きます」「親から援助してもらえます」などと主張すれば、入居を断れないのが実情です。年収を計算する基準としてはほとんど使えません。

 

それでも他に手立てはないので、今回は無理やり「3分の1法則」を当てはめて年収を出してみることにします。ご了承ください。

 

住所はどこか

 

まず、野比家の住所である練馬区月見台とはどこなのか?さまざまな説がありますが、作者の藤子・F・不二雄さんはかつて西武池袋線・椎名町駅近くにあった有名な『ときわ荘』に住んでいた時期があり、沿線の駅名はよく知っていたと思われます。そうなると練馬区内の沿線上で月見台に語感が近い桜台、富士見台が候補になりますが、近くに『池のある大きな公園』があるという設定があり、練馬区で池のある大きな公園といえば石神井公園、そこで野比家は石神井公園から近い富士見台あたりではないかと推測します。

 

(図=リビンマガジン編集部作成)

家賃はいくらか

ドラえもんの連載が始まったのは1969年。今回知りたいのは、当時ののび助さんの年収。ということは家賃相場もその時代まで遡らなければいけません。

 

1969年は、東名高速道路が全区間開通、アポロ11号が人類初の月面着陸を果たすなど大きな出来事がありました。また『大阪万博』を翌年に控え、日本中が高揚感に包まれていた高度成長期の真っ只中。

 

当時は、いわゆる住宅大量供給の時代でした。

高度経済成長に伴う都市部への急速な人口流入に対し住宅が不足していたため、公営では日本住宅公団(現・都市再生機構)が大規模団地の供給を急いでいました。民営でも木造の単身向けアパート(4帖半、風呂なし、共同便所)が大量に建設され、また家族向けにはアパート以外にも2Kタイプ(6帖和室、4.5帖和室、キッチン)の平屋の貸家(いわゆる十坪貸家)や長屋が数多く建設されていました。

 

ところが、野比家の間取りは5DKで延床面積も約34坪。間取りも複雑、また広縁があるなど、どう見ても一般的な貸家のつくりではありません。想像するに、元々は大家さんが住んでいた建物を、何かの事情で貸し出すことにしたのではないでしょうか。

貸家はのび助さんの父母の代から借りていたようで、その後弟妹(のび助さんは5人兄弟)が巣立ち、のび助さんが結婚し、父母が亡くなった後も引き続きのび助さん家族が広い5DKに住んでいるようです。標準タイプの貸家・アパートでしたら相場がわかりやすいのですが、野比家は間取りも広さも特殊で近隣事例も見つかりません。

 

それでも当時の家賃を割り出すのに参考になる資料があります。総務省統計局の「小売物価統計調査各年次・報告書」に3.3㎡(1坪)当たりの家賃の推移が出ているので、その数値を当てはめてみましょう。

 

資料によると、1969年(昭和44年)における都区部の貸家の3.3㎡当たりの賃料は1,780円でした。それを当時多かった家族向けの十坪貸家に当てはめて家賃を計算すると、

10坪 × 1,780円=17,800円となります。

ずいぶん安く感じますが、一般的な貸家の相場はこれぐらいの水準だったのでしょう。

参考のために筆者が昭和50年頃神奈川県の十坪貸家に住んでいた親戚に当時の家賃を確認したところ19,000円となかなか近い数字でした。

 

そして野比家の家賃は

34坪 × 1,780円≒60,000円

そして、6万円の家賃を払うにはその3倍の18万円の月収が必要。

18万円 × 12ヶ月=216万円

つまりのび助さんの年収は216万円ということになります。

 

当時のサラリーマンの平均年収を調べてみると、約81万円。(国税庁・民間給与実態統計調査から) 月収にすると約6.7万円。6.7万円の月収で借りられる家賃の貸家は

6.7万円÷3≒2.2万円

やっぱり当時の平均的なサラリーマンが払える家賃の限度は十坪貸家の相場に近い約2万円だったのですね。

ところでのび助さんの年収216万円は、平均年収の2.7倍!

現代に置き換えてみましょう。

2016年の平均年収はおよそ420万円。(国税庁・民間給与実態統計調査から)

2.7倍だとおよそ1,130万円。うだつのあがらなそうなのび助さんは、実はなかなかの高給取りだったのですね。

 

公式の情報ではないので、ほとんど想定の話にはなってしまいました。調べたり、親戚に確認したり、頭もフル回転させたのでクタクタです。こんなときはやはり叫びたくなります。おーーい!ドラえもーーん!

 
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