■書名:きつねのはなし
■著者:森見登美彦
■出版:新潮社
■定価:550円+税
森見登美彦・著『きつねのはなし』は、4編の短編小説集だ。
「水神」は、通夜の寝ずの番の最中に起きた不可思議な現象がテーマだ。
亡くなったのは主人公“私”の祖父で、祖父が住んでいた京都東山の鹿々谷(ししがだに)にある広い屋敷で葬儀が開かれていた。その日、「芳蓮堂」という祖父のなじみの古道具店から連絡があり、祖父からの預かり物を夜中に持ってくるという。“私”と父・茂雄、伯父である弘一郎、孝二郎の4人は、その預かり物の到着を待ちながら酒宴を張っていた。
しかし、時間になっても「芳蓮堂」は来ない。 “私”は奇妙な水音をたびたび耳にする。やがて屋敷の水が止まり、庭の池の水が干上がり、蛍光灯が消える。そうこうしているうちに、一人の女性が「芳蓮堂」を名乗り預かり物を持ってきた―。
4人の会話は、主に故人を偲んだものだ。読者には、それぞれが口にする断片的なエピソードによって祖父の異様な人物像が現れてくる。また、琵琶湖疏水事業の頃に話がさかのぼり、“私”の高祖父がポンプ技師だったときに何かを発見したことも語られている。そういった時系列を無視した一族の細切れの話が、清流のように読者に流れてくる。
「水神」は、琵琶湖疏水事業の時代からなる一族の水にまつわる呪いや神話がテーマになっている(高祖父の何かを発見した話や、祖父が中庭にある何かを祀っている社に参っていたり、何かを迎えての奇妙な宴会を開いたりしていた話など)。
登場人物の所作にも、「水を差す」「水を向ける」といった表現が自然と盛り込まれており、意識しなくとも、読み進めていくうちに酒宴の一員になっていくような感覚と、屋敷という大きな建物の中で起こる奇妙な出来事もあいまって、水という形のないものがどこかで黒光りしているような不自然な感覚が常にまとわりつくような話だ。
ちなみに京都の鹿ヶ谷は、あたりでも有数の高級住宅地だ。「哲学の道」は桜並木が連なっており、そばを琵琶湖疏水が流れている。春になるとそぞろ歩きの学生や観光客、地元住民でにぎわう。
京都の地理に明るい人であれば、東山の鹿ヶ谷と聞けば荘厳な屋敷が建っていることも容易に想像できる。短編小説にさえ、そういった地理考証が綿密に練られている森見作品は、流石と言わざるを得ない。
(敬称略)