■書名:劇場
■著者:又吉直樹
■出版:新潮社
■定価:1,300円+税
『劇場』は作家でお笑い芸人のピース又吉直樹が、デビュー作『火花』に続き発表した2作目となる小説だ。
主人公の永田は、劇団の脚本家。表現者としての夢を追いかけるなか、青森から上京してきた沙希と出会う。二人は惹かれあい親しい関係になり、やがて同居生活をはじめる。
ストーリ自体は単純な恋愛小説のようである。
しかし、脚本家としての苦悩を感じる永田と、それを懸命に支える沙希との関係は、時を追うごとに変化していく。
永田は、三鷹の住まいを引き払い、「沙希の下北沢の家に転がり込んだ」。「沙希の家に住むことにより、生きていくために必要なお金がほとんど要らなくなった。家賃も光熱費も食費もすべて沙希が払った」。永田はヒモのような生活をしている。それにもかかわらず、一番の理解者である沙希に対して、ときとしてキツくあたる。
全ては、自身の演劇への葛藤や焦燥が原因であり、関係のない沙希がまきこまれるさまは痛々しい。しかし、二人の関係を誰よりも守ろうとするのも永田だ。共依存のようないびつな関係は、多くの読者が共感できるものではない。
物語後半で、永田は沙希からの独り立ちをするために高円寺でアパートを借りる。「理由の一番大きな部分は創作を最優先にさせたということだった」。しかし、ここでも沙希の希望は蔑ろにされてしまう。
なぜ、永田はここまで自分本位なのだろうか。
その理由を物語っているのが冒頭の書き出しなのではないだろうか。
「まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。もう少しで見えそうだと思ったりもするけど、眼を閉じた状態で見えているのは、まぶたの裏側の皮膚にすぎない。」
永田と現実世界の間には、まぶたの様な薄い膜が張っている。現実を見ようとしても、実際は自分の内面を見ており、日常のすべては自分自身の内面を通してしか見られないのだ。
沙希への心遣いも見当違いな空回りであり、沙希が本当にほしい言葉がなんであるのかを理解することができない。膜が剥がされるシーンは、すべてが静かに終わってからだ。
又吉直樹が大阪から上京した三鷹のアパートが、太宰治の自宅跡だった話はあまりにも有名だ。永田が住んでいたアパートも三鷹、お笑い芸人として芽が出ず、苦しんでいた当時の又吉自身と重なる。また、現在又吉が仕事場にしている東京都内の築30年、風呂なし家賃4万円のアパートだ。永田が自身を創作に追い込むために借りた高円寺のアパートも、風呂なしの共同便所だった。小説と演劇、その表現方法は違えど、通じる部分がある。
以前、又吉直樹はNHKの番組で「究極ひとりでしょうね。小説を書くなんてことは」と、小説を創作する苦悩について語っていた(NHKスペシャル 松吉直樹 第二作への苦闘)。永田も、沙希という理解者がそばにいながらも、創作という側面においては、常に孤独を感じていたのではないだろうか。
物語の設定からして、最初からハッピーエンドだとは思えない。しかし、わかっていても、その悲哀に満ちたラストシーンは、どこか滑稽だが心に深く刻まれる作品だ。