現状における広大地評価の適用要件は明確化されていないなか、あえて贈与によって、より低い広大地評価による次世代への移管を果たそうとした行為は相続における広大地の評価よりは、よりシビアに判定されてしまわないだろうかと思ってしまします。
税理士として否認リスクの大小は、とかく気になるところではあります。
広大地評価を巡っての判例等を見ますと、本当に、どっちとも言い切れないものが数多く存在します。
裁判でそのどっちともいえないものの白黒をつけているのは、その広大地の周辺の環境や売却のされ方や土地活用の状況等のようです。
判例のなかにおしのべて出てくる表現は標準的、その周辺の標準的な活用のされ方やその面積、その周辺の標準的な売却面積や売却方法、とにかく標準的なものは何かであるかを判定基準としているようです。
この標準は周辺の状況を調査して割合等で判定していますので説得力と立証力は備わっていると感じます。
ただ、何とでもいえてしまう範疇のものではあるでしょう。
審判所の裁決に納得が行かず裁判で争うこととなれば、裁判官の判断となりますので、客観的な判断に委ねられるでしょうが、それでも改正を目前としたなかでの広大地評価については相続による広大地評価と比べれば、多少の厳しい目が入ってしまうのではないかと個人的には思ってしまいます。
相続は時期を選べませんが、贈与はその時期を任意に好きな時に設定出来てしまいます。
武富士事件もあれが贈与でなく相続で発生したものであったならば、そもそも論として課税者側は否認を行ったものや否や、何とも言えませんが個人的には相続であったなら海外居住が税逃れのための恣意的なものであったといわれていましたが、その恣意性の立証は難しいものだったのかもしれないと思ってしまいます。
このように考えると、今年度中の贈与による広大評価の申請は、広大地の適用要件に核心のもてるもので慎重に対応した方が無難であろうかと感じます。